果因説は発想が逆

認識が先が、現象が先か  それが問題。


  
見た目ではそうではなく、因果説から見てもそうではない。
理性も常識もそうではないと主張する。

しかし、事実はそうである。

それはもう成就しているのである。

事実を受け入れないからこそ、見た目はそうではない。

事実を受け入れ始めると、見た目も事実その通りになってくる。




これが『即』で現わされる真理の意味であり、真理の祈りであり真の言霊の神髄である。
また、この理が量子力学的とも言われるところである。色即是空 空即是色 我即神也 人類即神也 世界人類即平和也 日本即平和也 私達の天命即大成就也 地球世界即安寧也 大宇宙即大調和也、、、すべて真理そのものであり、この理に則っている。 
 

『即』の真理の中心が『我即神也』である。

『もし、人々が自分自身の姿を完全で調和したもの(人間即神の子)として認識できたならば、どうして不完全な状態が現われてくることがあろうか』(93-03)。

常識や因果説では、「自分には不完全な想いがあるから、自分は神とは言えない」と思ってしまう。
しかし、
果因説では発想が逆なのである。

「我即神也」と認識していないから、不完全な状態が現われていると考えるのが果因説なのである。
認識が先か、現象が先か。それが問題なのである。

理性も常識も、必ず現象が先にあって、それに反応するように認識を成立させているのである。
それとは逆に、果因説では、必ず認識が先にある。その認識は、存在の前提であるから、現象とは関係ない。
 

「わたしには不完全なところが残っているから、私は神とは言えない」という自我想念、三次元的思考、常識的固定観念のことである。
そのような理性的価値判断とは異なった次元で、『私』は神であり、世界人類は平和であり、地球世界は安寧なのである。



『私』は自我の価値判断では不完全ですが、そのような評価に関係なく、自分自身が神であることを認めます。
宇宙神がそのように『私』を定められたのでした。宇宙神にとって『私』は分身であり、宇宙神の御徳のすべてが『私』に備わっています。
『私』は宇宙神の血筋を引いた存在です。
宇宙神は『私』に抱え切れないほどの贈り物を用意してくださいました。
『私』に途方もないご褒美を整えて下さいました。『私』はそれを受け取ります。
宇宙神様有難うございます。   <ピタゴラスさん  『即』の理  から>

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因縁因果の思考のままでは果因説は成り立たない。   果因説は因縁因果を超えたもの、 それは我即神也 ということ。
私たちは本来神であり、 無限なるものすべてを内在している完璧、欠けたるものない存在。 

 因果説の思考のままで、目に見える現実や現象をもとに自分を理解し、自己改革しようとしても難しい。
そのままでは果因説も理解できないのでは・・・と思います。  果因説は因果の現象世界を超えてるから。

現象界に生きる私たちにとっては、
果因説は、我即神也があるから成り立ち、 我即神也は 消えてゆく姿=色即是空 があるから成り立つ。
今、自己認識を 「我神に非ず」 から「我即神也」 へ上昇させることが どれほど重要かを・・・ 多くの人に分かってもらいたいな・・・と思います。

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by mppoe-light | 2014-02-19 19:21 | ピタゴラスさん啓示録から