だから我即神也を意識する☆

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先日、友達に、、、 「純粋で、ヨゴレがなくていいなぁ」 と言われました。
そして、別の友達の娘さんには、初対面で 「シスターみたいな人」 と言われました。

どちらも私にとっては嬉しい言葉でした。 
( にしても、、シスターとは、、、少々驚いた~。。。(^_^;))あせるっっ

そう友達に言わせたものは、私ではなく、私の中の神性。我即神也。
本来の「私」が少しずつ顕れているのなら、嬉しいなー♪



自分は何を信じるか。
自分は今、何を信じるか。自分の本性を信じるのです。我即神也、人類皆即神也を信じるのです。 
<今月号の法話から>


自己意識は想念を起させる。信念を起させる。言葉を語らせる。
「我即神也」を意識するとは、無限なる神性を意識することである。
自己意識がすべてを創り上げる。
すべてに自己の神性を映し出してゆくこと、それが天命である。



「いつも我即神也を意識することを心掛けていれば、無意識に神性が顕れる・・ 」(だったっけ・・?)

↑ 文章は違うけど、こんなことを昌美先生の法話で読んだ気がします。  



真の宗教は自己が自己と向き合う道である。
究極の真理は、現象世界を超越している。究極の真理は「我即神也」である。
この真理は、自己についての絶対的で変わらぬ真理である。
これは宇宙神が定めた理である。

形ある現象世界の現われ方は二通りである。各人の現象世界は各人の自己意識の結果である。
無知に基づいて、自分が「自分は不完全である」と意識したならば、カルマの世界が展開する。カルマの世界は苦悩の世界である。すべては自らの無知より発している。
絶対的真理に基づいて、自分が「自分は神である」と意識したならば、神性顕現の世界が展開する。この世界は喜びと平和の世界である。

自己意識は想念を起こさせる。信念を起こさせる。言葉を語らせる。「我即神也」を意識するとは、無限なる神性を意識することである。聖なる言葉・光明の言葉を語ることである。生命エネルギーを全開させることである。
『自分の偉大さを知り、自分の生命の尊さを知り、自分の無限なる能力を知ること』である(05-07)。
『自らの神性を信じられ、自らの尊厳を信じられ、自らの存在価値を信じられるということ』である(05-07)。

 自己意識がすべてを創り上げる。
神人たる存在は、自らの意識を「我即神也」に集中し、
『自らの運命を支配し、創造してゆくものである』(05-10)。
すべてに自己の神性を映し出してゆくこと、それが天命である。

 すべての過去は「我即神也」を知らない無知から生じた。しかし、すべての未来は「我即神也」という神意識から生じる。光あるところに影はない。
人間と人間の宿縁、地域と地域の因縁性、家々の業因縁、、、と言ったことはすべて因果説の話である。しかも、枝葉の話である。すべては「我即神也」を失念し、「我即肉体人間也、我即不完全也」と想い込んだことに原因がある。すべては自己認識の過ちにある。
「あの人が、あの地が、あの家系が」などと考える必要はない。
一切は「自分が自分を神と視なかった」想いが消えてゆくときに起こる姿に過ぎないのである。
 カルマの世界と神の世界は同時並行的に存在する。
カルマのことはさておき、現われの自己の不完全性はさておき、「我即神也」という
『自らの神性一点一方向に意識を集中させる』(08-04)
ことである。

現象世界のことを根拠に考えるのではない。
現象世界に影響を受けない「我即神也」そのものを基準に、神の姿を想像するのである。神の姿を宣言するのである。神性は必ず復活する。神性は必ず顕現する。
光が顕われているところ、闇はないのである。
本心の完全性が顕われているところ不完全性はないのである。
すべては完璧 欠けたるものなし 大成就  

<ピタゴラスさん 「我即神也を意識する」から>



すべてに自己の神性を映し出してゆくこと、それが天命である。
そのためには、
自分を信じる、自分の神性を認め、信じる。 我即神也、人類即神也 を信じる。

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by mppoe-light | 2013-10-02 22:01 | 真理について思ったこと