私たちのミッション☆

■宇宙神は、いかなる人にもその人にとって必要なものを惜しみなく与えつづけている。しかし、受け取るべき人自身がシャットアウトしてしまう。 <9月指針>

なぜ受け取るべき人の側がシャットアウトしているのか、、、それは、自己認識が間違っているから。 
自分自身は、無力な肉体人間だ・・・というと誤解、錯覚したままの自己認識を持ちづつけているから。

本来の自己認識は、もちろん 我即神也  
そして 
すべては完璧、欠けたるものなし、大成就


■心が物質のみに執着すると、すべての精神の気の流れが滞ってしまう。<9月指針>

物質というと、形のある物に執着する・・・と思いがちだけど、 (もちろんそれはそうなのだけど・・・)
形ある物以外に、外側のさまざまな現象、環境、体験も形の世界の創造物。
自分の中から湧き出た感情だって、執着すれば気の流れが滞る。。。 ううぅ・・・。



自己価値観を大きく変えてゆくというミッションがあるのです。

自分の意識が高まれば高まるほど、意識が光明思想になるのです。
いつも微笑みを放つようになるのです。


 
神性顕現の生きた証人となり、自らの体験を通して人類に神性復活を蘇らせてゆく大天命を遂行してゆくのである。

神人たちが果たしてゆく天命とは、欠けたるものなしの状態を創り上げ、過去の因縁因果から解放され、果因説による素晴らしいもの、幸せなるもの、豊かなるものを自らの現象面に引きつけ、実証させてゆくことにあるからである。

さらに新たに神性に目覚めた人々が次々と自分の神縁深き人々に語り継ぐことによって、
世界中至るところに神性復活の潮流が生まれ、広がってゆく。

9月号昌美先生のお話


私の私たちの、大天命。  神性復活=我即神也

天命を果たすために、 これからも自分を赦し、愛し、自己価値観を上げていかなければ・・・と思いました。


で、 久しぶりにピタゴラスさんの日記から☆ ↓

いきなり「空」・・・カタイ! でも面白かった(*^_^*)

「空」と言われると、多くの人が難しくて、カタイ話だ・・・と思い、気持ちが引いてしまうかな・・・
私なんかは、読んでスッキリしたのだけど、(究極の真理について、ここまでスパッと言い切ってもらえると、助かるのだ。(*^_^*))

カタイけど・・・
本心と業想念をきっちり分けたつもりで読むと、判り易いし、心に響くと思う・・・。
知識、観念とは違う感覚で読んでもらえたら、嬉しい☆

空と「我即神也」2

 空とは無限なる叡智の教えである(「般若波羅密多」は完成された叡智を意味する)。
空とは無限なる叡智へ向かう教えである。
空とは無限なる叡智を顕わす教えである。無限なる叡智は神性を集約したものである。
神性とは自分自身でもある。
自分自身とは神なる自分である。
空とは神性の教えであり、神性に向かい、神性を顕現する教えである。

『過去はない』。外なる世界、現象界はすべて顕われた瞬間に終了し、赦され、消えている。しかしながら、それを「在る」と想い込むならば、自分は罪人であり、肉体人間、あるいは輪廻する人間である。
外なる世界もなく、それを「在る」という思い込みもなければ、真に在るものだけが在る。真に在るものとは神性だけである。自分も神性だけであり、「我即神也」である。

『私』という存在のアイデンティティを外なる世界に求めるならば、無知である。
無知からカルマが生じる。
『私』という存在のアイデンティティを、あるがままに神であると認めるならば、悟りである。
空とは自己認識のシフトである。
空とは「余計な思い込みをなくしなさい」ということである。
余計な思い込みがなくなると、元々あった「真に在るもの」が自ずと溢れ出てくる。
空が指し示すのはその溢れ出てくるもの、つまり「我即神也 人類即神也」である。
「我即神也」とは、自分自身を神と認め、尊敬し愛し崇拝することでもある。

『私』についての認識が変われば、すべてが変わる。
『私』についての認識が変われば、将来設計も変わる。
輪廻する人々は、必ず過去と恐怖に基づいて将来を設計する。将来設計とは想像力である。神たる『私』はどう在るべきか。何ができるか。
それを自由に想像するのである。
想像できうる「神としての在るべき姿」を言葉で言ってみる。その宣言を『祈り』と言う。真の祈りはたちまち、神の創造力=言霊によって現実化する。

物質には我々の運命を決める力はない。逆に、『私』についての自己認識が、すべての幸不幸の原因なのである。
空は『私』についての意識を変革する。空は物質を認めない。空は物質の力を認めない。空は現象界を認めない。空は想念を認めない。空は過去を認めない。
空ならば、『私』が物質的状況に左右されることはない。影響されることは一切何もない。

『私』は物質的状況について何ら評価を下さない。『私』こそが状況を創り出す主体だからである。過去は『私』がかつて創ったもの。過去はない。
輪廻する人々は過去に基づき未来を創ろうとする。そうではない、未来は『神なる私』が自己の神性に基づき『自由にかつ自己の責任で』創るものである。

空とは聖人の境地ではない。空とは法則である。同次元の法則は「我即神也 人類即神也 世界人類即平和也」である。誰も法則に変化を加えることは出来ない。しかし、その法則をベースに自分の思い込みを写し出して、歪んだ現象を体験することは可能なのである。

苦悩、争い、災害、汚染、、、すべて歪んだ現象である。しかし、世界が平和であること、各人が神であること、地球世界が輝いていることは何ら変化を被ってはいない。
果因説は歪んだ現象はさておき、完成された世界へ飛翔してゆく道である。


この最後の言葉がいいな~☆(*^_^*) わくわく♪
果因説は歪んだ現象はさておき、完成された世界へ飛翔してゆく道である。

うんうん、果因説は即、完成している のだ、今の制度、仕組みが徐々に良くなる・・・のではないのだ。
 そのために、
我即神也=人類即神也!



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by mppoe-light | 2013-09-06 17:18 | ピタゴラスさん啓示録から