神の創造☆

7/16の日記にこのようなことを書きまして・・・


≪ 我即神也 を宣言しながら、“完璧で、大成就している”気持ちがどこまであるのかな・・・・と気になるようになりました。 
成就を顕すのであれば、その時の気持ち (すでに成就している時の)、にならなければいけない・・・・と、思うようになりました。

成就の時の気持ちになるためには、想像が必要。 
成就した時の自分をイメージして、その感覚を思い描いていった方がいいのではないか、 と。≫


で、今回はその続きのような内容なのですが、、、

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今までは、成就することの意味とか、大切さなどを、真剣に理解しようとしていなかったのですが、・・・・(^_^;) ここんとこ、富士聖地で“成就”の神事が繰り返されていることから、
“成就”について真面目に考えるようになりました。(というか、きちんと向き合ってみました。) 


成就の体験を重ねれば、さらに我即神也への確信が持てるはず・・
よって、神性顕現の道が開ける・・
では、
我即神也として 成就を体験していくには どうすれば・・・?


祈りながらこんな風に思いました。

成就を想像して、成就したつもりになってみる。 その時、私はどのような気持ちになるか。 
創造するためにはその気持ちが必要なのでは・・・。
なぜなら、
今までは 因縁因果に慣れたままの、自己限定を前提にした思考、発想、感情ばかりで生きていた。
 だから、法則の通り、有限で限定の人生を生きてきた。
私の意識が創造の源、創造のはじまり 
だから、まず初めに、、 
過去ばかりを前提にして自己限定していた想いを止めて、
成就した時の想い、感謝、感動を、肉体側の私が思い描いてみるのはどうだろう・・・。
その心を感じることが必要なのではないかな・・・
と思いました。 

つまり想像し、創造するってこと☆
 
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我即神也 は果因説  もう思考は、因果説から果因説へ切り替える時代。

因縁因果は、有限と限定に基づいた世界。もともと神さまの世界にはないもの。
“私は神ではない”という自己否定、自己限定の世界。
 
でも我即神也 は、因縁因果を超えている。神意識は因縁因果とは一切関係ない。 

我即神也を完全に信じきった時、一体となったとき、 そこには過去もカルマもなく、
あるのは すべては完璧、欠けたるものなし、大成就。 

想像し、創造する・・・ 神の創造は果因説  なのだっ☆



想像し、創造する

『二十一世紀、人類一人一人は、自らが想像し、創造した世界を生きてゆくのです』
(2012-06; 2008-09)
『自らの人生は自らが想像し、創造するものである』(2008-09)

 想像する姿は眼に見えない姿である。眼には見えないけれども、宇宙神はその理念をしかと定められている。宇宙神の定めだから、変更できない姿である。
眼には見えていないのだが、自分自身の本性そのものの姿である。
如何なる過去もその想像を妨げることはない。
如何なる過去もその想像に入り込むことはない。宇宙神の理念、自分の本性を一言でいえば、神である。
『我即神也』を想像するのである。
 想像した姿を、言葉によって宣言すれば、必ず成就する。
その成就させる力、言霊の創造力は自己の内在する創造力に他ならない。
神なる『私』(すべての人)は創造力であり、創造者である。
『私』が語ったことはすべて現実化している。語ったことで現実化しなかったものはない。現実化したもので、語られなかったものもない。
すべては自分の責任でしかない。

 想像は五感を超えた世界への入り口である。
人間の意識は五感の世界から自由である。誰であろうと、他人の想像の自由に介入することはできない。何を想像するのか、全く自由である。
同時に、全く自己責任である。
『どんな困難のなかにあっても』、『我即神也』を想像することは可能なのである。
その可能性の中に、因縁因果を超える鍵がある。
言い方を変えると、想像のなかに、果因説につながる鍵がある。

 『我即神也』を想像するということは、『すでに成就できた状態を想像し、創造してゆくのである』(2008-09)。
『すでに我は成就したという時の、歓喜、感謝、無限なる幸せを想像し、そこに意識をこめることによって』(2008-09)、内在する創造力、DNAにスイッチが入るのである。

mixi ピタゴラスさんから



すべては完璧 欠けたるものなし、大成就!


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by mppoe-light | 2013-07-31 17:22 | ピタゴラスさん啓示録から