我即神也にとっては・・・

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我即神也 にとっては、結果はいつも実っている。それは無限なる能力、無限なる可能性・・・として。 
すべては完璧、欠けたるものなし、大成就。
私たちはそれを顕すためにここにいる。
そのために、消えてゆく姿で自分(人類)を赦し、意識を我即神也まで高め、自分(人類)を愛する。



神の愛はすべての人に遍く行き渡っているのだが、当人はそれに気づかないから、気づかない分、神の愛以外のものを体験することになっている。
人には内なる無限なる能力が備わっているのだが、当人はそれを過小評価するから、評価した通りに、無力感を味わうことになっている。



想ったこと、認めたものは顕れる。

結果とは自分の思考、想い、の顕れ。 つまり・・・自分が何を信じて生きていたかが形に現われたもの。
大事なのは、自分、(人類)が何者であるかを意識して、自覚して 生きているのか。
凡夫か、我即神也か。

自分を取り巻く “消えてゆく姿” にながされず、 
自分の本心、我即神也 をきちんと意識的に見つめているかどうか。
神さまへと心を向けているかどうか。
神さまの中に入っているかどうか。

人生の中で起こるさまざまな出来事。それを、どんな気持ち、どんな想いを持って体験するか。
つまり、それは、いつもどのような意識で生きているか・・・

  
現象は(創造は)、必ず意識が先行し、結果(形)はその後に現われるもの。
私たちは創造者です。


神は空高くに聳え、凡夫は平地にたむろする。凡夫は無限の努力を積み重ねながら、高き岳に挑む必要があるのだろうか?因果説では然りである。だが、果因説では否である。 



果因説の思考は果が先にあり、それはいつも完璧、大成就。
 
我即神也は 完璧、欠けたるものなし、大成就であり、
我即神也 にとって、結果はいつも実っている。
それは無限なる成功、無限なる可能性 無限なる命・・・として。

私たちの役目はそれを形の世界に顕し、恒久平和を顕現させること。


と・・・・・、
こんなことを思いました・・・☆



※青い文字は、ピーさんの、「太陽の譬え」 から
いつも引用させてもらって・・・ m(_ _)m ぺこっ☆

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by mppoe-light | 2013-07-27 17:18 | 真理について思ったこと