私は傍観者でも受容者でもない。

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意識即創造力です。 自分が意識したものが現実に現われる。
そして自分が創造したものは、必ず自分が体験することになるのです。

意識は創造です。戦争をつくる人は戦争を意識しているのです。――――
貧乏、飢餓をつくる人は貧乏、飢餓を無意識に意識してしまっているのです。
それが成就しているのです。

(6月号 法話から)


「私」は常に創造しています。 意識は絶え間なく創造をしていて、
そしてそれは常に成就している。  「私」には成就する力があるから。


我即神也に基づいた創造をし、完全、完璧の世界を成就させるか、
それとも
私は神ではない という自我意識に基づいた創造し、これからも不安と恐れの世界を成就させ続けるか、

神ではない という自我意識は、二元性、不安、恐れを創り出し、
外側の世界に影響を受けては、振り回される。
そして、
自分は弱く脆い存在で、人生も世界も変えることは出来ない・・・ と信じる。
神ではない私は、常に傍観者、受容者の立場にいる。  それを当然のこととして。

神意識、自我意識。
どちらにしても自分が意識し、創造したものを体験する。
よって、私は傍観者でも受容者でもない。 ただ・・
自分が選んだ創造を体験しているだけ。


宇宙神そのものが創造者であるならば、私たちも創造者なのです。
私たちは傍観者ではありません。
受容者でもありません。
創られる人でもありません。言いなりになる人でもないのです。
自らが創っていくのです。 世の中を変えてゆくのです。
(6月号から) 



これはすごいこと! だからこそ、私たちには尊厳があり、気高く偉大であると思います。

これほどの能力を与えられているのだから、 
うかつな願い事など、自分の神性に対し、失礼で申し訳ないこと。
うかつな救いは 相手の神性に対して失礼なこと。 

安易に「かわいそう」という言葉で、相手の神性を侮辱してはいけない。
大切なのは、神性を認めること。 神性を認めたうえで、相手に救いの言葉、救いの手を差し伸べること。

祈りも印も言霊も、、、神性を発揮させるもの。
自分が光り、相手の神性を照らす。 光、 神性の働き、神性の交流。

真理の理解が進むほど、祈りや印の素晴らしさを実感します。


自分自身が宇宙神の光の一筋で、無限の創造力があり、完全、完璧であると知ったのなら、
私は神だから、
世界平和を祈ることは当然のこと。
私は神だから、
人類即神也の印を組むことは当然のこと。 
それが本来の生き方。

そう思って、祈り、印を続けています。

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by mppoe-light | 2013-06-18 22:55 | 真理について思ったこと