自分を愛し創造する


自分を愛し、信じて、褒め称えること。
そうでなければ、 無意識のうちに 自分の外側の物や人(評価、など)を使って、
自分の価値を高めようとする。 依存している。

内に向けるべき意識が、いつも外側にばかりなら、それは つまり自己否定と同じ。
自分は外側の助けを借りなくては価値がない、と思い込んでいる。錯覚している。
(>_<)わぉ

我即神也 
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私は
意識的であっても無意識であっても、 常に創造している。 創造者です。
何を基に、何を前提にした創造なのか? 
自分の信じるものを基にして、そこから生まれる想いから創造している。

常時私は、何をどう信じているか、 
信じているのは自己限定、自己否定か それとも、 我即神也 完璧、大成就か。

現象はどれも自分の想いの結果。

だから
今の現実(結果)を改善して現実を良くしようという努力は、、、不自然なやり方に思えます。
自己否定、限定 という思考の続きからは、完璧な創造は生まれない。

過去の想いの結果を改善することに意味があるのだろうか? 
きっとそれは、似たような状態の繰り返しだけなのでは?
それは進化ではないはず。

世の中が抱える問題を改善することや、さまざまな仕組みを再構築することが進化ではないはず。

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神の創造は、神を忘れた思考の創造物の延長線上には現れない。

神意識の創造は、今の現象を操作し改善して行われるものではない。 
神意識の創造は、新たに現れるもの。

本来は大成就なのだから。神の完全性、 愛、調和、平和を新たに出現させる。
 だから“浄める”・・・のではなく、“光に変容する” 

徐々に少しずつ、光を出現させる。 横時間の視方では、闇が消え、光に移行したように見えるけど、 
それは、
新たに出現させている、、、私たちの神行が。   

・・・・・と、
こんなことを思いました。


浄める・・よりも、創造者として新たに光を出現させる ・・・
こっちの方が、ずっとスケール大きくて、かっこいいではないか!☆ 

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この瞬間も私(私達)は創造している。
だからそれに伴って 常に、現象(現実)は新陳代謝を繰り返し、次々に新しい創造の結果が描かき出されているのかもしれない。。。

神の創造はいつも新鮮。  横時間に生きる私達にはそれがずっと続いて存在しているように見えているけれど、 それは毎瞬毎瞬、映し出されている。



自分が常に創造していることを忘れないように。
そして今、自分が何を創造しているか・・・・を忘れないように。

意識的に 「自分が何者か、私は我即神也 」であることを認める。

それが此処に居るための本来の目的だったはず。

本来の働きを行っているのだから、肉体生活は整って当然。
私が私の本来の働き(生き方)をすることが、私の最大の喜びであるはず。

この最大の喜びが、自分のものになるために   我即神也 人類即神也

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by mppoe-light | 2013-05-16 23:20 | 真理について思ったこと