源泉 「それを知っている」

人類は
『まさに一人一人その本質において、すべて神なのです。自分を究極なる“我即神也”そのものとして崇め奉るべきなのです』(96-02)。

 私は、人類を批判、非難、評価も下さず、人類の
『生命の尊厳を認め、褒め称え』ます。(2000-08)
 本来、人類に自我と言うものは
『空にして何も無いものである。在るものは、ただ、ただ神そのものの心なんだ』。(98-02)

 『宇宙神からの無限なる愛、無限なる能力、無限なる叡智、無限なる創造、その他、無限なるものすべて一切は、宇宙の至る所、あまねく放たれし空中から受け取るだけでよい。
宇宙空間に宇宙神の創造せし無限なるものすべてがあり、
そこから愛と讃美と繁栄と幸せをつかみとればよい』。


宇宙神と一つに結ばれているから、
『自由自在に必要なものは得られるのである』。(97-07)

このように、『人類即神也』の真理のメッセージは人類の神性を「認める光」なのである。
人類を業生の現れと見るのではなく、『現象はともかく、本来、神そのものである』と認める光なのである。
「認める光」は声高かに叫ばなくともいいのである。認めることが光となり、人類を幸せに、目覚めに導いて行くのである。

「認める光」は祈りの光であり、印の光である。
「認める光」を送ることは、どんな行動よりも偉大な行為なのである。
「認める光」は赦しであり、愛である。真(まこと)の光である。つまり、真理そのものである。
「認める光」を日々、送れる人は神そのものである。
「認める光」は神の証である。神性そのものである。感謝の光と同じである。

「認める光」が流れ出でる源泉は「それを知っている」神の意識である。
祈りとは、「それを知っている」という宣言なのである。

認めようとするのではない。そのようになるよう希望するのではない。
それが実現するよう外なる神に求めるのではない。
「それを知っている」から宣言するのである。
「認める言葉」で「認める光」を発しつづけるならば、その人は神意識そのものとなる。
「認める言葉」は成就する。


mixi ピタゴラスさん「認める光」から



 ※ 「認める光」が流れ出でる源泉は「それを知っている」神の意識である。

 ※ 祈りとは、「それを知っている」という宣言なのである。
 



奥に光がある言葉  流れの源泉、「知っている」という神意識
私が求め追究している光 その源泉、  
だから、
 
究極の真理を表すこの言葉を読んだとき、 美しさを感じました。 
ありがとうございます。



c0074000_1735732.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2013-03-31 17:35 | ピタゴラスさん啓示録から