「私」

「私」

現象世界の何にも属していない状態の「私」 縦時間の「私」
過去もカルマもない「私」
意識して 肉体を器に「私」が生きていることをイメージしてみました。

時間がいつも「今」の状態で、 
肉体が、思い通りに動いてくれることに感謝の気持ちが湧いてきて、 
肉体を支えるために、そして、その肉体に「私」が乗って、本来の働きが出来るように、
すべての環境が整っている・・・と思いました。
 
空気、水、大地、住む家もあり、食べ物もある。
すべて肉体を維持するために与えられている。
ひとつひとつに感謝の気持ちが湧いてきます。

たとえば、、、
朝、「私」の肉体は起き上がり、足を動かし、両足は思い通りにきちんと前に進んで、洗面へ。
そして、お水で顔を洗う。今、私は顔を洗っている。
両手は思い通りに動いてくれて、水は私のために顔を綺麗にしてくれる。
当たり前のことだけど、 肉体さんありがとう、水さんありがとう。 

いつも「今」、ここに居る という状態。 

現象世界の何にも関わらない「私」ですが、
でも「私」の本来の働きは 現象世界を神世界へ上昇させること。創造すること。
現象世界の二元対立には一切関知せず、 それを超えた新しい果因説の世界、
すべては完璧、欠けたるものなしの世界を創造すること。

「私」だけに意識を絞れたら、 私は神意識を蘇らせることが出来るかもー・・・・と思うのですが、、、、 すべてを消えてゆく姿として振り切って、「私」に飛び込んで、神様からすべて頂き直す・・・という勇気がありません。荒っぽいかなー(笑) (無限なる可能性!) 

リアルな現実世界の方を信じる方が簡単で、目には見えない神の「私」を信じる力よりも強いのだと思う。 
でも、
だからこそ五井先生、昌美先生の教えは有り難い と思う。 
どの行も 個人人類同時成道。
迷いの自分を抱えながらも、祈り、印を組むことで 本来の「私」、神の働きが出来る。
果因説を生き方が出来るようになってる。
すごいなぁ・・・


毎朝、鏡に向かう時、鏡は自分の顔、相、形をそのまま正直に映し出してくれます。
自分の心が輝いているか否か、エネルギーに満たされているか否か、やる気があるか否か、使命感に燃えているか否か、愛で満たされているか否か、調和しているか否か、・・・が顔や相に反映されています。
と同時に、鏡を通して、鏡の中の世界、鏡の外の世界を見るのです。鏡の中の世界には、本来の自分自身が映し出されています。 
神そのものの神々しい姿、高貴で、愛のみで満たされ、光り輝いている姿、宇宙そのもの、真理そのものの自分がいます。
そして、鏡の外の世界には、不安そうな目、不健康な青白い顔、自信喪失したげっそりした顔、嫉妬に狂った顔・・・の自分がいます。
その鏡の中の我即神也の自分と、鏡の外の消えてゆく姿の自分とが一つに結ばれてゆくきます。
それが人生の目的です。

その鏡を毎日せっせと磨き上げる方法が、消えてゆく姿で世界平和の祈り、我即神也、人類即神也の印、マンダラ、光明思想徹底行、地球世界感謝行です。

いまだ完全なる神そのものの本来の姿は映し出されなくとも、磨かれた程度に応じて、神の一部分でもある明るい自分、勇気ある自分、愛ある自分、感謝ある自分、赦しある自分が映し出されてきます。
それによって、絶対なる真理に目覚め、生きる目的がはっきりし、自らを磨き高め上げようとする意志が強まり、喜び、希望、幸せに満ち溢れてくるのです。

昌美先生の著書 「果因説」から

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by mppoe-light | 2012-12-04 22:40 | 真理について思ったこと