自分を磨き高め上げる


我々神人は、これからなお一層自らを磨き高め上げ、限りなく宇宙神の神力を受け入れる器になり、

それだけ限りなく自らを磨き高め上げるならば、宇宙神より神力を十倍授かることが可能となる。
<11月法話から>



※宣言文にもある、「自分を磨き高め上げる」

因果律の「私」、過去からの時間の流れの中に生きる「私」が、神の言葉、想念を心掛けるのではない、
過去からの時間の流れに生きる「私」を、消えてゆく姿として切り離し、
本来の自分の姿=神のことに意識を向けているうちに、本来の神の言葉、神の想念が自然に伝わって来るのである。
印、言霊を使って、生徒が本来の神を真似ている内に共振共鳴が始まるのである。
 因縁因果説は夢幻
(消えてゆく姿の自我)の分析に意識を集中する。
果因説は本来の神の姿に意識を集中する。


※自我「私」が神になることはできない。それは消えてゆく姿だから。
 努力して自我が神になるのではない、
  「私」はもともと神であり、常に即神である という真理を認める


正しい「言葉・想念・行為」の世界は「我即神也」と言う自己意識より自然法爾に吹き出してくる。

「言葉・想念・行為を高め上げる」以前に、自己意識(自己定義、自己評価)を高め上げるのが果因説の奥義である。
『自分を磨き高め上げる』、これは現れの自分を磨き高め上げることではない。意識の中で自己評価を高め上げることである。


※意識の中で自己評価を高め上げる

四次元世界とは、三次元世界に意識次元を付加したものである。
意識とは自己意識である。つまり、「自分が自己を何である」と認識するかの意識が次元としての意味を持つ。
三次元世界とは因縁因果の世界である。想念の法則により現れ、消える。
しかし、自己=肉体、幽体という意識がある限り、結果としての現象は次なる原因となる。その因縁因果は限りなく経巡る。凡夫の意識は凡夫の世界を創りだす。

しかし、「我即神也」の意識は厳然として存在する。
三次元世界の凡夫であろうと、「我即神也」を宣言したところには、時間の経過はあるものの、神なる姿が顕現する。
この神意識は三次元世界のものではない。神意識は四次元世界の意識である。
しかし、神意識は「私は、、、」と言う意識の座標軸を使って三次元世界と接点を持つ事ができる。

三次元世界に四次元目の意識次元を加えると、同じ三次元世界が幾通りにも変化する。
それは、平面の二次元世界に縦の三次元世界を加えると、同じ平面座標が縦の座標によって幾通りにも変化するが如くである。
印は三次元の因縁因果の世界に意識次元の変換(上昇)を使って、「我即神也」の世界を顕現させる科学である。
印を使うと、因縁因果の流れとは関係なく、「我即神也」という意識がその意識に相応しい現象を三次元世界に顕現させてゆく。
この顕現も想念の法則を使って成就される。それは果因説と言われる。



自己意識が次元として意味を持つこと、自己意識が創造の鍵であることを知り、
果因説、究極の真理について よく理解ができるようになりました。
昌美先生の法話も解るようになった。 
これは もーほんとに
 ピタゴラスさんに、そしてピタゴラスさんちの神さまに感謝ー♪ そして、
何度も啓示録を読んだ私も、素晴らしい~ヽ(^。^)ノ♪♪♪ なはは☆

因果律時代の終焉

 因果律の時代は終焉を迎えた。そして、果因説の時代に入った。この事実を意識するか否かによって、明日からの自分の体験する世界に違いが出てくる。
 因果律の時代の終焉。それはベルリンの壁が崩壊したようなものである。ベルリンの壁の崩壊を知らずに1990年代を生きる人のように、今後において果因説を知らずに生きてゆくことは無謀でもある。

 あなたが第一になすべきことは「言葉・想念・行為を正す」ことではない。
第一義的なことは、あなた自身の意識に関すること、つまり、自己意識、自己定義、自己イメージを正すと言うことである。
正しい「言葉・想念・行為」の世界は「我即神也」と言う自己意識より自然法爾に吹き出してくる。

 「言葉・想念・行為を正す」こと自体が、真理ではない。そんなことは人間を小我の中に閉じ込めるために、小我が創り上げた律法に過ぎない。それは小我の延命装置でもある。

 どんな「言葉・想念・行為」もあなた独自のものではない。すべて人類に共通する錯覚より生じた、人類共通のものである。
何があろうと、同じ失敗を何度も繰り返そうと、あなたは自分を「いたらない」と評価してはならない。
反省は必要であっても、自責の念・罪意識は不要である。

 「言葉・想念・行為を高め上げる」以前に、自己意識(自己定義、自己評価)を高め上げるのが果因説の奥義である。
『自分を磨き高め上げる』、これは現れの自分を磨き高め上げることではない。意識の中で自己評価を高め上げることである。

 常識的に自分に責めるべきところがあるにせよ、心を翻してみる。ゼロ次元に飛び込んでみる。
つまり、神の子として祝福された自分自身に意識を向けてみる。
イエス・キリストより、「あなたがたは幸いである。
天国はあなたのものである。あなたがたは世の光りである。」と祝福されている自分を思い出してみる。
その素晴らしい自分を印によって表現してみる。あなたには、「今」と言う瞬間、ゼロ次元に飛び込むという選択肢がある。
つまり、あなたは「我即神也・人類即神也」に意識を集中することができる。印を組むことができる。
そこに神の喜びがある。

 「言葉・想念・行為を正すこと」が宗教の根本とするならば、人は宗教から抜け出せない。
その試みは成就しないからだ。
自己意識を正すことは、四次元世界に上昇すること。そこに宗教の根本がある。
そこではすべてが成就する。

2008/11/17   mixi ピタゴラスさん


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by mppoe-light | 2012-10-31 23:17 | 真理について思ったこと