真の姿 すべては完璧


c0074000_21534940.gif

言霊を唱えながら思うことは、、、

すべては完璧、欠けたるもののない世界が真の世界、私たちの本来の姿で、
これこそが真実。
と、言う事。

なのに私たち人類は、
人間は不完全で、欠けているもの・・・というのが当たり前の思考になっていて、
少しでも良くするためには、努力を重ねて現状を改善していかねばならない、、、
そうすることが成長であり、進化である、、、、
と、思っている。
ところが、努力をしながら、
失敗や挫折を繰り返しているうちに、結局は 
「人間だから仕方がない・・」なんて言って、未完成の状態を受け入れてしまい、
そのまま 人間は愚かなんだ・・・と納得してしまっている。。。(T_T)/~~~ 無限なる光明!

違う、違うんだよ、本当は完璧が当たり前なんだよ。 すべてが調い、完璧で、大調和した状態こそが私達自身の姿であり、私たちの世界なのに、
そこからスタートするのが本来の生き方なのに~、果因説なのに~!


“迷い”とは このことか・・・・と思いました。

“迷い”を消えてゆく姿として捨て、「私たちは本来完璧な存在」 であることを認め、次元上昇するか、
それとも
“迷い”をそのまま続けて、「私たちは結局、不完全で不調和な存在」であると思い込んで、カルマの世界で生き続けるか。
つまり、、神意識を受け入れるか、非神意識をそのまま続けるか。

神意識は究極の真理を放ち、完璧なものを創造する。

『神人は、宇宙究極の真理を、無限なる愛の光をすべての魂に分かち与えるために存在しているのである。』(2003-03) 




我即完璧神也、人類即完璧神也

 「すべては完璧 欠けたるものなし 大成就」と唱えることが習慣になってきた。しかし、苦悩することがつづいた時、私は無意識に「自分に何が欠けているのだろうか」と思っていた。
「自分は確かに何かが欠けている。だから、こんなことになったのだ」

 このような声は、本心の声とは全く異なる。このような声は、因縁因果の中にいる自我の声である。

 自分は『欠けたるもの、不調和なるもの、非真理なるものに同一化することによって初めて、その現象が現れてくる』
(2003-09)のである。

苦悩の中にいる自分を認めてはならない。
苦悩の分析は要らない。対策も要らない。
苦悩の時が、「消えてゆく姿」を行ずる時である。
苦悩の時が、果因説に入る時である。
果因説に入るとは『我即神也』という真理に入ることである。
それは、苦悩と苦悩を感じる自分、苦悩の原因を創った自分がいる世界を離れ、全くの別世界に入ることである。その別世界は、宇宙神が創造された世界である。
それは既に成就している神界である。
それは既に、我々に与えられ、我々が相続した世界である。

我即完璧神也。
私は至福の神である。私は健康の神である。豊かさ、繁栄、成功の神である。私は愛の神である。赦し、癒し、歓び、感謝、光の神である

『神人は、神そのものと同一化しようとするからこそ、神人として光り輝き、すべてが充足されてゆくのである。』
(2003-09)
 
 相続していないものを与えることはできない。
私にはすべての神性が完璧に与えられている。
すべての神性は本心という宝庫に蓄えられている。私はすべての神性を人類に与えることができる。

私が与えるものは宝庫の中で増大する。
私の本心はすべての神性が溢れ出るところである。
本心が癒せないものはない。本心が満たせない物もない。本心はすべての人類を祝福する。
そして、本心は人類にすべての光を送る。
本心の光は人類の神性を照らし出す光である。

人類即完璧神也

『神人は、宇宙究極の真理を、無限なる愛の光をすべての魂に分かち与えるために存在しているのである。』(2003-03)

「自分に何が欠けているのだろうか」などと考えている場合ではない。
「我即神也」に意識を集中し、「人類即神也」のために自分の本心を輝かせるという天命があるではないか。

苦悩を消すために祈るのではない。
苦悩を消すことによって、天命が完うするのではない。
天命を完うしようとしていれば、苦悩は消えてしまっているのである。

mixi ピタゴラスさん


c0074000_2150517.gif

[PR]

by mppoe-light | 2012-10-13 21:56 | ピタゴラスさん啓示録から