意識「私」

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「私」  今この瞬間の「私」というもの。 意識「私」
この「私」は 現象世界の私とは別のもの。

「私」という意識。、
「私」があるからこそ、 
「私」を使って 内なる神 本心、宇宙の意識と繋がる。 
 「私」を通して、宇宙神の無限なるすべてを肉体側へ、現象世界へ降ろすことが出来る。 
だから、
本心の持つ無限なるものすべては 当然、私が受け取るべきもの。
私はそれを受け取るに相応しい存在。
受け取ることに遠慮はいらない。私は本来、神だから。 
すべては完璧、欠けたるものなし・・・とは、私にとって当然のこと。
 
意識「私は」、すべてに充たされ、愛され、完璧に整えられ、大調和している。 
それが真実。

・・・・と、まあ、、、こんなことを お祈りして感じました。

この「私」が神だ・・・という気持ちを感じながら、
神であることを まだ完全に赦していないことにも気づきました。
でも気づいたことで、自分がまた少し神意識に近づき、上昇することが出来そう。☆

「すべては完璧 欠けたるものなし 大成就」 を受け取ることを自分に赦し、
受け取ることが相応しいと思えるようにならねば・・・☆



私は在る

Now here I am. I am to be God.
(今ここに、私は在る。私は在る、神として。)
2008年、初めての啓示は何故だか英語だった。

Now here(今、ここに)は言い換えれば、「いつでも、どこでも」ということ。
『即』の意味と同じで、『いきなり、無条件』ということです。

そこに神性の永遠性、普遍性、無限性がある。それは抽象的な神性、雲の上の神性のことではない。自分自身のことである。条件が整ったならば、“いつか、いずれの地にて、私は神になり得る本質がある”。このようなのん気な思考は『我即神也』の思考ではない。そういう意識が悟りに導いてくれることはない。「今、ここに、そのまま、なんの条件も付くことなく、私は神である」という意識こそが宇宙神の光明であり、我々が神を顕わすように導くのである。

『私は在る(Iam.)』という意識は、批判、非難、評価を下していない状態。その意識の時は、いかなる価値判断もしていない。無念無想の状態。それは神の意識である。神性の輝きである。この意識は「宇宙神から放射された光が、今ここに、自分として輝いている」という状態だ。従って、『私は在る』(Iam.)は即ち、『私は神である』という意識そのものである。
『私は在る』と意識するや、間髪をいれず、つまり、雑念が入り込む前に、ここに在る自分は神そのものであると宣言しさえすればいい。
この『我即神也』に至る方法を統一、日常生活の中で使ってみて下さい。
2008/01/9
ピタゴラスさんの啓示録から

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by mppoe-light | 2012-10-08 10:14 | 真理について思ったこと