「神の器」なので・・・

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我々が神になって、自分の姿を確認するのではない。
本来、我々は神だからこそ、「神の姿」を確認するのである。

肉体身とはこの「神の姿」を顕わす場なのである。

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人は何のために今ここにいるのかって聞かれたら、、、
今の私なら、、

「宇宙の神様のところから分かれて、降りてきて
現象世界で肉体を器にして、この世界に神様の完全性を表現するため、顕現するためにここにいます。」
と答えるかな・・・。

地上に降りたものの、途中で自分が神であることを忘れてしまい、恐れと不安と罪悪感を抱えたカルマの人間になっていましたが、、。。。
今、やっと少しずつ 自分が我即神也であることを思い出してきました。

これからはカルマの因果律の創造ではなく、
言霊を使って、「すべて完璧、欠けたるもなし」 の神性による創造活動を開始します。

肉体を器にしているので、消えてゆく姿のカルマはまだくっ付いているし、見た目も普通ですが、、、
そのことと神性とは関係のないことで、
消えてゆく姿は “ある”ように見えているけど、神性の「私」にとっては、一切関係ないもの・・・。 
だって、カルマが有ろうが無かろうが、神性の創造活動には一切関係のないから。

これからは カルマを相手にするより、本来の目的である
神性顕現に心を傾け努力していかねば・・・と思うところです。 これも努力だよ~ん。
そして、
今の肉体を持った世界で、「神の姿」を少しずつ確認できればいいな・・・と思います。
あとは、
 我即神也を忘れないように、 やっぱり祈り、印、言霊なのだ・・・☆

ぉお~っやらねば~っっ☆



存在そのもの


『あなたの心が神そのものの心であることに気づけばよいのです。そして自分自身ではっきりと宣言すればよいのです。
何も躊躇することはありません。拘ることも、ためらうことも、恐れ多い等と思うこともありません。
あなたの存在そのものが神なのです。』2005-09


我々が宇宙神よりほんのわずかに分離した時、自分を自己流に定義し始めた。その瞬間、我々は「我即神也」を忘却してしまった。
自己流の定義は、神本来の創造力によって、自己流の現象を生み出して行った。
それが繰り返され、深く重なったカルマとなって行った。
我々は自分自身のことを「完璧以下」と思い込んだ。必然的に、人類のことをも「完璧以下」と思い込んで行ったのであった。

2012年、我々はカルマとは一切関係なく、「我即神也」という宇宙の真理、自己の真理に従って、輝かしい現実を取り戻す軌道に入った。
かつてより、用意されていた軌道に入ったのである。それは『すべては完璧 欠けたるものなし』を受取る道である。
ただ、そう宣言し、宣言した通りを受取る道である。この軌道は神界と五井先生との約束事であるから(2006-08)、必ず成就する。


『すべては完璧 欠けたるものなし』の根源にある真理は『我の存在は完璧 欠けたるものなし』である。
つまり、「我即神也」である。
今まで、我々自身が「言葉、想念、行為」によって自分自身を評価していた。そして、時に徳を積み、時に罪を重ねたように見えていた。
しかし、我々の存在そのものは、いかなる「言葉、想念、行為」によっても変わることはない。
我々の存在そのものが神なのだ。
我々の存在とは、想念を出す前の意識そのもの、生命そのもの、本心のことである。
その存在、根源の意識、生命そのものが『我』なのである。
それ以外の現われた「言葉、想念、行為」のいずれも『我』ではない。
何があろうと、なかろうと、『我』は現象には一切関係ない。
『我』と関係しないすべては『宇宙神の聖にして神秘なる力』によって光に変容されるだけなのである。
2012年、神人の内で神そのものが目覚め始めた。
神そのものの『我』の意識が長い眠りから目覚め始めたのである。


 我は本来、神である。神そのものである。
無限なる愛、光、叡智、能力、生命に充たされているのである。
本来完璧なように作られているのである。完璧そのものである。
一つの欠けたるものなく、一つの余分なものなく、まったく完璧に大調和された神そのものである。(2004-08)
 


目覚めた内なる神はこのように宣言し、人類に向かっても同様の宣言(人類即神也)を行う。目覚めた内なる神は、自分に見合った状況、人、場所、物、出来事を引き付け始めた。
言霊によって引き付け始めた。大成就。
 すべては完璧 欠けたるものなし。大成就。

mixi ピタゴラスさん


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by mppoe-light | 2012-06-14 21:50 | ピタゴラスさん啓示録から