ピース・ピルグリム「内なる平和の歩み」を読んで

ピース・ピルグリムの言葉

【参考】全ての内容は、下記サイトより転載させていただきました。
ピース・ピルグリムの生き方「内なる平和への歩み」紹介サイト
Akashic Record過去・現在・未来の叡智をめぐって →http://bit.ly/9L4CDe


「内なる平和の歩み」 
通称: ピース・ピルグリム Peace Pilgrim
本名: ミルドレッド・ノーマン・ライダー Mildred Norman Ryder
生没: 1908 - 1981
1953年から1981年まで、自分を「Peace Pilgirm ~ 平和巡礼者」と呼ぶ一人の女性が、アメリカ大陸を2万5000マイル以上歩きました。 http://www.peacepilgrim.com/

彼女の語った内容は、その精神をくんで版権が主張されておらず、だれでも引用・転載していいことになっているそうです。

全文はこちらにもあります。 
http://www.inner-wish.com/自己変容の道/ピース-ピルグリムの言葉/

このサイトから前半を少しだけ転載しました。


「内なる平和の歩み」

◆意味のある生き方を深く探し求めつづけて

人生のはじめの時期に、わたしはふたつのとても重要な発見をしました。
ひとつは、お金をかせぐのは簡単だということ。
もうひとつは、お金をかせぎ、それを愚かなやり方で使うのはまったく無意味だということです。

自分はそんなことのためにここにいるのではない、と気づきました。
でもそのときは(これはずいぶん昔のことです)、では何のためにここにこうして存在するのか、まだはっきりとはわかりませんでした。
 意味のある生き方を深く探し求めつづけて、ある夜、一晩中森を歩きまわったすえに、ようやくひとつの境地にたどりつきました。いまのわたしは、そのとき超えたのが精神的にとても大きな峠だったことを理解しています。
 それは、一点の曇りもなく、全身全霊で、自分のいのちを奉仕の生に捧げたいという決意でした。こうなるともう逆戻りはありません。ここまできたら最後、二度とふたたび以前のようなまったく自分本位の生き方へ引き返すことはできなくなるのです。


◆ライフワークは平和のためにはたらくこと

※こうして、第二の人生がはじまりました。得られるかぎりのものを手に入れるのではなく、与えられるかぎり与える生き方です。


※このかんに、心理学者が「自我」と「良識」と呼ぶもののちがいがよく見えてきました。
わたしたちのなかには、ふたつの異なった価値観をもったふたつの自分、ないしふたつの本性が共存しているといってもおかしくありません。
そのふたつのものの見方があまりにもちがうので、しばらくはふたりの自分の葛藤に悩まされました。それは山あり谷ありのたいへんな道のりでした。


◆内なる平和を見出す

※けれども、そうしてもがいているうちに、
あるときすばらしいピーク体験が訪れます。生れてはじめて、本当の内なる平和を味わったのです。
私は一体感に包まれました。

 すべての人間たちとひとつであり、存在するいっさいのものとひとつであるという感覚――それ以来、その一体感を完全に失ったことはありません。

 その後もこのすばらしいピークには何度でも戻ることができましたし、そこにとどまれる時間もだんだん長くなって、すべり落ちることのほうが珍しくなりました。

 そしてある朝、もう二度と谷におりなくていいことがはっきりと確信できる、すばらしい瞬間がやってきたのです。苦闘は終わり、わたしはついに自分のいのちを捧げること、つまり内なる平和を見出すことに成功しました。
 これもやはり、もう引き返せない境地です、ここまでくると苦闘のなかへ逆もどりすることはありえません。苦闘が終わったは、みずから自分にふさわしいことをやる“意思”が生まれ、外側からそれを強制される必要がなくなったからです。

※いつも、愛、平和、喜びといった“善きもの”に包まれている感じがあって、それに守られているおかげで、直面すべきどんな状況に遭遇してもまったく恐れがないのです。

※こうなると、人生は思いのままです。ただし、「自我」というのはけっしてものごとを操ることができません。自我は肉体からくる快適さや便利さへの欲求に操られ、心の要求や感情のほとばしりに操られるばかりです。

 けれども、心やからだや感情をコントロールするのはもっと高い本性です。
 わたしが自分のからだにむかって「あのセメントの床で寝なさい」といえば、からだはそれにしたがいます。

 心にむかって「ほかのことはすべて忘れて目の前の仕事に集中しなさい」といえば、心はすなおにしたがいます。

 感情にむかって「状況は最悪だけど静かにしなさい」といえば、感情は静まります。
 これはふつうとはまったく異なった生き方だといえるでしょう。
哲学者ソローはこう語ります。
「世間と歩調を合わせるのをやめれば、いままで聞こえなかった太鼓の音が聞こえてくるだろう。」と。
 そう、この段階でしたがうのはその新しい太鼓の音――そしてその叩き手は、低次本性ではなく高次本性なのです。

◆世界平和のための巡礼
わたしはどんな組織にも属していません。旅に出るにあたり、
雨露のしのげる場所を与えられるまで歩きつづけること、
食べ物は与えられるまで食べないこと、
そして人類が平和の道を習得するまでさすらいの身でいること
を誓いました。


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素晴らしい内容に、読んだとき感動しました。
この女性が到達した高い境地にも圧倒されました。

自分がこのような崇高な境地に到達できるのだろうか・・・と、たじろいでしまいました。。。。(ーー;)

その、揺れる気持ちのまま祈り、印を組み、自分はこれでいいのだろうか、、、と考えました。

そして気がついたのが・・・、

もともと、本来私は到達している・・・でした。

私たちは崇高な神「私」を既に手にしている。自分の中に誰でも必ず持っている。
(内在している神性を 今更になって 無いものとして探し求めて彷徨う必要はない。)

そしてそれは、
果因説を使って、現象界に映し出される。

だから、
“在る” ものを、素直に在ると認め続ける。
眠ったままの神「私」を 言霊を使って何度でも呼びかけ、目覚めさせる。

1回認めてそれで終わりではない。
認める気持ちの状態から、滑り落ちることがなくなるまで続ける。

上手くいくと思う。
果因説、祈り、印、言霊、神語がある。

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by mppoe-light | 2012-06-01 19:55 | 真理について思ったこと