原因となるものは、自然についてくる

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<今月の法話から>

まず自分を認めることです。

すべての結果は自分自身の中にある。

心の中に幸せが呼び覚まされていれば、その心の持つエネルギーによって、
幸せになる原因となるすべてのものが、物質も、人間関係も、自然についてくるのです。


すべての結果は自分の中に。 
自分の中の何を選択し、認めてゆくか。。。
自分の内に在るものを体験する。

始まりは 「意識」 から。
自分の意識が変われば、体験も変わる。



「空」と「光」

 空観とは、水槽に泳ぐ金魚を見るが如きではない。それは、夜空に輝く花火を見るが如きでもない。金魚は瞬々動き回り、位置を変える。花火も瞬々の輝きである。それを空と言うのではない。

 時空は入れ物ではない。物質は入れ物の中にある素材ではない。
我々は、観察する意識であり、金魚を動かしている。我々は花火を散らす中心にあり、花火の観察者である。
我々を離れて、独立した時空はなく、素材もない。我々の意識が、時空を維持し、物質現象を維持している。我々は瞬々、現象世界の創造者であり、日々創造者である。
意識は現象となり、現象は意識に組み込まれる。しかし、いつも根源にあるのは意識である。意識が自分の領域を拡大して現象世界を創ったのである。意識は現象化する。上にあるものは、下にある。


 意識の主体は『我』であり、それは『神』である。『我』はすべてを赦す権限がある。従って、過去はない(色即是空)。
『我』はすべてを創造する権限がある。従って、自由自在である。供給そのものである(空即是色)。


 多くの人にとって、一番難しいのは、「消えてゆく姿」を認めるところである。自分が創造者であることの責任を認めるところである。花火が、自分を中心に散っていることを認めるところである。
何かの出来事について、
「いくらなんでも、自分はそんなに悪いことをしていないぞ。波動の荒い世の中だから、心配でたまらない。自分を守るには、怒って、攻撃しておくのが一番だ。当然の行為だ」と言い訳したくなるのが凡夫の常なのである。
だからこそ、五井先生は「消えてゆく姿で世界平和の祈り」の基本を25年間も説かれていたのである。


 「消えてゆく姿」も「空」も「過去のエネルギーの受け止め」で終わることはない。過去の責任を認めれば認めるほど、創造者としての立場が益々、明瞭強固になってくるのである。
「消えてゆく姿」を認めることは、実のところ「我即神也」を認めることだったのである。
「消えてゆく姿」を認めるとは、「自分は神でない」という認識の誤りを認めることであった。
それは、同時に「我即神也」を認めることであった。
この自分の神性を認める行為が、世界平和の祈りに包含されていたのである。

<白光ノート 「空」と「光」>から


量子論に基づいた内容で、ちょっとカタイけど・・・
c0074000_9321534.gif面白~い!ヽ(^。^)ノ


                                「お・・・重っ。。。。」
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by mppoe-light | 2012-05-29 09:43 | ピタゴラスさん啓示録から