創造する側の 意識で・・・2)

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私は光から来た者、私は神そのもの。
私は何処であろうと、いつであろうと、肉体を持ったまま神の姿を顕すばかり。 
私には過去はなく、カルマもない。私は光だけですべてを描ききる。私が描く世界が五井先生の説かれた平和の世界。


私は光から来た者、光を形に顕し、光に帰るもの。
カルマが創った場であろうと、私は何でも創造できる。自由に創造できる。 
私は世の光、人の心の神性を照らす光である。
光が形となると、愛、真理、叡智、健康、・・・・・



今までは、肉体にいる私が神界の神「私」に向けて意識を上げて繋がろうとしていたのだけど、
ふと・・・・神界の神「私」が地上に向けて意識を降ろし肉体に納まっている・・・・とイメージしてみた。

私は光から来たもの。光を形に顕し、光に帰るもの。

「私」という意識が今ここに降りて、肉体に納まり生きていて、  
「私」は肉体を通して創造活動を行う。 
形の世界という制限はあるけど、
「私」は自由に肉体を使って、 言葉、想念、行為を通して創造している。
「私」は常に創造している。
 
創造する側の意識で自分の身の回り、社会、世界を観てみると、ちょっと面白い♪
 不思議な感じ。
目にするものは私の創造したもの。私の意識の結果。 
その気になれば、自分の思った通りに行動し、表現することができるはずなのだけど、 
現実世界の常識やそれに伴う不安や怖れがブレーキをかけている。 
世間の常識や自己限定というのは重いものなのだなぁ・・・と感じました。 と同時にその時・・・・、

創造する者には責任があるんだ・・・と思いました。 (今頃気づくのも遅いんだけど・・・(笑)

我即神也を認める者の、・・・責任って言えばいいのか。。。(ちょっと重くなるな~。。。)
今まで、 自分自身が創造している・・・という認識が足りなかったようです。
だから言葉、想念、行為に責任感が足りなかった。 わお~っ まずいかも。。。。(;一_一) 

宇宙は自由意思、自由選択、
宇宙は無限で、すべてを私たちに提供してくれ、私たちは自由自在に生きることができる (はず)。
ただ、創造は自己責任を伴う のだ。。。

昨日は、法友の責任感のことを書いたばかりだけど・・・、 
私自身も足りないみたいだなぁ。
もっと自分を信じて、誇りを持たねば・・・・
神の分御霊として誇りを持って、これからは想念にも気を付けないとー。少しずつでも。。。。

我即神也 すべては必ずよくなる 絶対大丈夫、大成就 
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by mppoe-light | 2012-05-06 13:54 | 真理について思ったこと