人生をリセット 新生する

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カルマが描く現実は、自分が神であることを忘れきったことで描かれたサスペンスドラマ。
ドラマに感情移入しすぎてはいけない。 没頭して抜け出せなくなる。。。(目を覚まして!)



カルマのドラマは消えてゆく姿なのだから、捉われてはいけない、消え去るものに没頭しない。  
努力して、絶対消え去ることのない無限なるものに意識を向ける。
消えてゆく姿で我即神也

「そのうち いつか 我即神也 になる」・・・ではなく、 
(そのうちいつか・・・では、 目的地に到着しない、のだ)
今、この瞬間 自分が神であることを認める、
その次の瞬間もその次の瞬間も、今、今、とにかく 今っっ! 
何が何でも今、私は我即神也 であると宣言する。

現象として神の姿が顕れてなくても構わない、消えてゆく姿なのだから どんどん流す、
がっかりしなくても大丈夫
次の今、新しい今に我即神也が在るから。 
常に純粋無垢で神聖な「私」がやってきている。
いつも 真理は降り注がれている。
だから、いつでも人生はリセットできる。
 いつでも私たちは新生することができる。   おめでとうー! 私、私たち!

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玉石混淆の人間の姿は、事実であろうとなかろうと、「消えてゆく姿」にすぎない。
 その姿を自分であると想ってはならない。
 幻想に惑わされてはならない。
 完全完璧・大調和の神の姿は、見えようが見えまいが、本当の姿である。
 その姿こそ自分なのである。
 しかと、自分を神と見るのである。
 そのような自分自身を神と認める意識が「神の姿の顕現」を可能にするのである。

 自分に対する最高の賛辞、それは「我即神也」である。
 それは自分を愛することである。
 人類に対する最高の賛辞、それは「人類即神也」である。
 それは人類を愛することである。

 神性顕現の道は果因説の道である。
つまり、カルマの消滅の後に、神性顕現の道が来るのではない。
「煩悩を断ぜずして、涅槃に入る」といわれる如く、初めにカルマを消滅させるのではない。
カルマについては、気にならなくなればいいのである。
光に変容するのは守護の神霊の仕事である。我々の仕事は、『不完全な自分はさておき』神性顕現に励むことである。
現われて来たことに対処してゆくことが人生ではない。現われた現象を前提に人生を始めるのではない。人生の第一歩は『我即神也』から始まるのである(注1)。いつでも、誰でも、人生はリセットできるのである。

注1  “我即神也”からすべてを始めれば、人生の輝かしき一歩を踏み出せるのである。(2004-7 P.16)

ピタゴラスさん


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by mppoe-light | 2012-03-25 23:20 | 真理について思ったこと