私は認めたものを顕す・・・・☆

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神性とは何か

 神性とは無限なる愛、無限なる叡智、無限なる喜び、無限なる生命、、、そのものである。
すべての人の本質は神性のすべてである。すべての人のアイデンティティは神性そのものであり、神性のみである。
「自分を愛する」とは、自分のアイデンティティのすべてを知ること。認めること。思い巡らすこと。宣言することである。
「自分を赦す」とは神性ならざるものを自分のアイデンティティから切り離すことである。
自分を赦し愛す人は、すべての人を赦し愛す。そして、すべての人から赦され愛される。

 この神性の真理を忘れたことから、人間は偽りのアイデンティティを自分自身と思い込み、その姿を体験し続けている。それはカルマと呼ばれる法則に基づくものである。法則と言っても絶対法則ではない。それを法則と見なす人にとっては法則である。しかし、真理を知る人にとっては、存在しない法則である。守護の神霊にとって、超えられないカルマはない。既にカルマは光に変容され、消されているのである。
 
絶対法則とは、自己の神性に気づいた人から神性を顕現させてゆくということである。この絶対法則が神人から始まって地球人類全体に宏まるまで成就しつづけるのである。つまり世界人類の完全平和が成就するようになるのである。この連鎖反応が始まったのである。この絶対法則は果因説の法則とも呼ばれる。
 
神人の内では、神性が溢れかえり、現象の世界に溢れ出さんとしているところである。
祈りによってそうなったのではない。元々そうなっていたのである。祈りによってその事実に気づき始めたのである。
内なる事実は認めることによって、当人が気づくことによって、当人を通して現実化するのである。神性とは自分の内に存在するものである。
神性とは、その真理に気づくことによって、外の世界に吹き出てくる自分の本質である。
 この内なる神性を讃えよう。
この素晴らしき神なる自分の存在を讃えよう。
もっともっと讃えよう。
讃えた通りの姿を顕わすからだ。
至福の神々(すべての人類)よ。
自らを至福の神と讃えよう。
この世でも、讃えた通りの至福の神となるだろう。
この世のことが、至福の神から何を奪うことができようか。
至福の神を犯すものは一切何もない。
至福の神は至福の姿を顕わすだけである。
至福の神は世の人の神性を照らし出す光である。

mixiピタゴラスさん


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内なる事実は認めることによって、当人が気づくことによって、当人を通して現実化するのである。
神性とは自分の内に存在するものである。
神性とは、その真理に気づくことによって、外の世界に吹き出てくる自分の本質である。


 今、自分の言動は 何を信じ何を認めたから起きたのか。
自分の感情は 何を認めているから湧き上がってきたものか。
神性を信じ、大成就を信じたものか、 そうでないか。

自分の神性を信じる、認める。
意識「私」は、認めたものを顕す 

神性を認めることで、
本来の創造活動が始まる。 外の世界に吹き出てくる自分の本質、神の本質が形になる。
それは、グルグル回りしていた因果説から果因説に移行したから。本来因果の働きが始まる。 

c0074000_21531280.gifやっぱり究極の真理はすごいっ! 果因説は素晴らしい! これしかない!



究極の真理によって、人は迷いから解放され、神を顕わすことが出来る。
とは言っても、無意識の自我の主張を「我即神也」に置き換えてゆくには根気がいる。
同じことを何度も何度も言い聞かせる。印と言霊によって、「我即神也」をこの世に顕わしてゆくことができる。これも同様、何度も何度も印を組み、何度も何度も言霊を唱える。
無意識の主張をキャンセルし元々の自分の姿に戻るだけなのだが、根気がいる。夢から目覚めて、正気に戻るだけなのだが、根気がいる。今年も、根気よく、赦しと愛、厳然と存在する神の姿、本来の姿、完全・完璧・大調和・至福の神、それを表現する言霊、印、感謝しつづけるのである。自己意識を本来の自分と同一であると宣言しつづけるのである。
 根気がいるのだが、現象の自己を改善しようすることに較べれば易行道である。自分が自分の真の姿である神性だけを見ること。続ければ、必ず「大成就」を体験する。

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by mppoe-light | 2012-01-06 21:58 | ピタゴラスさん啓示録から