十字架みたいな働き☆?

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分霊は精妙な光であり、本来自由自在に動きうる波動をもっているのであるが、肉体界に出入りするうち、いつとはなく肉体の鈍い動きに同化されてきて、しだいにその精妙さが失われてきた。
始め、肉体界をつくり、そこに神の創造を形づけようとして活動をしつづけていた各分霊は、さながら繭をつくって、その中に閉じ込められた蛹の如き状態に陥り、しだいにその光波が濁っていったのである。

ここにおいて人間は、肉体界の生活を主とした自己限定をするようになっていったのである。
即ち、自己限定した各分霊は、お互いの不自由性を解放しようとして、縦である直霊にむかわず、横につながる兄弟姉妹である分霊魂から、その自由を得ようとし始めた。
即ち縦取りをしないで横取りをしはじめたのである。
<神と人間 から>


果因説は縦取りなんだ・・・と、印、祈りの時に思います。
祈りや印の時、私の意識が向かう先は、
現象世界の消えてゆく姿の自分とは全く別の、神である「私」。
宇宙神の世界、完全、完璧、大調和の世界。大成就の世界。
そこから始まっている「私」は 同じく 完全、完璧、大調和 大成就の「私」。 

祈れる私は、光そのもの、真理そのもの、神の器そのものなり
故にいかなる時も宇宙神の光に包まれている私を侵すものは一切何もない

その「私」が “すべては大成就” と言霊を発すると、地上では“大成就”を創造する力が放たれる。

よって
すべては必ずよくなる  絶対大丈夫 大成就
 
我即神也の「私」は常にすべてに充たされている。
それは「私」を満たすだけに留まらず、無限にあふれ出ていて、
「私」は「私」という個性を持った 溢れ出る無限なる愛、無限なる叡智、無限なる喜びを常に人類に放ち続け、神の世界を地上に創造する。
我即神也 の「私」は、 神の完全性を実現しようと 究極の真理の光を休むことなく放ち続けている。
“生命”の働き。 それが本来の「生きる」こと。

と、、、こんな風に思っています。
思ったなら、あとは、実践せねば・・・。 ここに書くだけで終わってはいかんっ!(^_^;)
 しっかり自立しなければ・・・。自立―!

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現象世界の中で さなぎのように自己限定をし、カルマに翻弄されてしまっていた自分を消えてゆく姿として振り切って、 自分は本来神であることを認める。 
有限の横取りの生き方は終わりに(消えてゆく姿として)して、 意識を次元上昇させ 本来の縦の「私」に戻る。  そして 現象の横の世界へ光を放ちづつける。

十字架みたいな働きだなぁ・・・と思う。

そういえば 五井先生は
「みんなが救世主になって、みんなが働く」 と講話でお話されていました☆

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by mppoe-light | 2011-12-12 12:55 | 真理について思ったこと