消えてることのない「私」は何者か☆

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「自らの神性」を貶めるような言葉、想念、行為を100パーセントつつしみ、
ただただ人が自分を見て「吾は神を見たる」と思わず思わせるほどの自分を磨き高めあげ、
神そのものとなることである。それしかない。それのみである。 
それこそが人類を導く方法、人類を救済する方法である。
<12月号 法話 から> 


意識だけが天と地を、つまり神界の成就の世界と地上の現象界を繋げてくれている。
「我即神也・成就」で意識を高めあげた私を媒体にして、私を通して、
神さまの成就している無限なるものすべてを、現象世界へ、人類へ放つ。
きっと、本来生きるってこういうことなのかも。

祈れる私は 光そのもの 真理そのもの 神の器そのもの

「我即神也」と心底思えた時、初めて人の心を動かすことが出来、共鳴させてゆくことが出来るのである。
それは、全く無意識に自然に溢れ出てくる自分の言葉が、愛と赦しと真理の言葉となり、相手に励まし勇気づける言葉となり、いかなる人の中にも「神の生命」を見出す言葉となるからである。<法話から>


本来「私」は神である。 神そのものである。無限なる愛、光、叡智、生命に充たされているのである。
本来完璧なように創られているのである。完璧そのものである。
一つの欠けたるものなく、一つの余分なものなく、まったく完璧に大調和された神そのものである。


この時、完璧に大調和した「私」は、大きく広がっていて、すべての人や自然界を含んでいる状態。 すべてと繋がっている状態。  だから、人類すべてが真理に目覚めなければならない、自然界は癒され回復されなければならない。 でなければ、「私」の世界も完成されない・・・。

あらゆる現象は「消えてゆく姿」  決して消えることのない 「私」という意識。
この「私」をしっかり掴んでおかなければ、と思う。 
「私」は何者なのか。
「私」は 「我即神也」      
外側の現象に反応して、忘れてしまわないように。。。。よく忘れてしまってる・・・(ーー;)ううぅ・・・
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  今、現実がどうであれ

 今、現実がどうであれ、「私はすべてに満たされている」と思い、語り、行えば、その通りになる。
(2011-12 日々の指針より)

 このワンセンテンスには深い真理が凝縮されている。「今、現実がどうであれ」とは、現実から事を始めないということである。あらゆる現象は「消えてゆく姿」である。それを浄めようとか、何とかしようとか考える必要はない。
新しい状況を創り出すには、果因説を駆使する。
現実世界ではなく、完全・完璧・大調和・至福に包まれた神なる自分から事を始める。
その姿は現実の世界にはないから「想像」するしかない。
イメージが難しければ、「今、私はすべてに満たされている」と宣言してしまえばいい。完全・完璧・大調和・至福そのものの自分は、厳然と存在している。その神なる自分は既に、救世の大光明のメンバーとして大きな働きをこなしている。その神なる自分は言うに違いない。

「今、私はすべてに満たされている」と。

肉体側の自分も同じように宣言すればいい。語ればいい。その言霊が、神たる自分の姿をこの現実世界に呼び出すのである。「神性顕現」である。「大成就」である。
神の姿が顕われてくれば、「すべては必ずよくなる。絶対大丈夫」である。

現実に対して反応することは、現実世界に変化を生み出さない。
現実批判、闘争を繰り返すこと自体が幸せではない。
現実を超えた神の世界に入り込むことが、現実世界に変化を生み出す。
「神の姿」に思いを馳せること自体が幸せである。

自分の現実を見ず、自分の神の姿を見る。
これが自分を愛することである。
自分のすべての神性を知ること、
自分のすべての神性に思いを馳せること、
自分のすべての神性を宣言すること、
これが自分を愛することである。

自分を愛することなく、人類を愛することはできない。
自分を愛する人は、同じように人類を愛することができる。
自分を愛する人は、
人類一人一人のすべての神性を知る。
人類一人一人のすべての神性に思いを馳せる。
人類一人一人のすべての神性を宣言する。   2011/11/27

mixi ピタゴラスさん 
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by mppoe-light | 2011-11-29 22:27 | ピタゴラスさん啓示録から