"人々は意識した世界へと導かれている"

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9月号 法話から

人々は意識した世界へと導かれている
いかなることも自分が意識したことは必ず自分の意識エネルギーにより、確実に現実に降ろされるからである。
平和にはならない、不可能だ、戦争や飢餓や貧困はなくなるはずはない、と意識する人々の上には必ずその状況こそが現れてくる。要するに、自分が百パーセント意識しないことは法則により現実に百パーセント現れないのだ。
                                    ※

国民が国家の大きな決断を下すということは、大変なことである。一人一人の日々の意識が国の運・不運を分かつからである。 即ち日本国の運命は、日本人一人一人の意識レベル集合によって決まるのである。
 ということは、日本人一人一人が自分の日常生活を通して、時折々に持ち上がってきたごくありふれた問題、家族問題、教育問題、政治、そして事件やトラブル等・・・種々さまざまの出来事をどのように考え、捉え、解決してゆくかにかかっている、ということなのである。すべてはその問題を捉える意識レベル如何である。
 それらの問題や出来事に対して一人一人が決断を下す時の意識エネルギーが、低次、あるいは高次であるかによって、その中でもとりわけ多く集まった意識エネルギーが日本人全体の意識集合体のレベルとなり、国運を導いてゆくからである。 原発の問題もしかり。

 ゆえにもっと日本人一人一人が真剣に自分の思考、自分の選択、自分の決断、自分の責任問題を改めて見つめ直さなければならない。

日本人一人一人の意志決定がなされ、その結果の責任を自分で取ることこそが、日本の神性復活を為し遂げていく唯一の鍵である。




「私は物質的肉体であって。物質の法則に支配されている。死すべき定めにある。加齢、遺伝から免れない。肉体の怪我、酷使の経歴がある。私には至らぬところが多く、私は罪深い。誠意なく、愛薄い。ときに冷酷にして攻撃的だ。こんな具合で、癒しなど認めてもらえない。至福などとんでもない」
と我々は、意識的であろうと無意識的であろうと、多かれ少なかれ信じていないだろうか?このような信念は漠然としているが、強固なものである。しかも、このような信念自体は直接的な痛みを伴なわない。したがって、「消えてゆく姿」の標的にされることも少ない。


確かに、、、、自分の選択、決定を見つめると、  
日常生活に現れる問題を 物質に偏った信念を使って、捉え、解決しようとしています。
うーん、この信念は手強い!  静か~に心の中に潜んでいるから気が付きにくい。

自己流の視方で自分を視るのではない。神の視方で自分自身を神と視るのである。  
 このように、「自分自身についての視方」の修正が始まっている。それと同時に、社会、自然、地球、宇宙についての視方の修正も始まっている。
何故、社会が理不尽なのか?
何故、自然は災害をもたらすのか?
何故、自分は宇宙そのものの中で、ぽつりと孤児のように漂っているのか?
その答えは一つである。自分が自分自身をそのように考えてきたからそのように見えていたということに他ならない。
「社会は理不尽なもの。自然を支配しなければ、服従することになる。宇宙の中で、自分は一粒子に過ぎない」等の無意識の信念を、我々は現実世界として体験してきたのである。
 社会や政治についても、決して批判しないことである。批判すれば、批判した姿を体験する。自然、宇宙についても、単なる物質と考えないことである。


mixi ピタゴラスさん 「神の視方」 から

祈れる私は、光そのもの、真理そのもの 神の器そのものなり

すべては必ず良くなる。 絶対大丈夫、大成就。
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by mppoe-light | 2011-11-26 23:23 | 真理について思ったこと