消えてゆく姿を・・・☆
消えてゆく姿を
過去を消して神になる として行う・・・か、
そもそも究極の真理の前に過去はない として行うのか
過去は(業想念は) 「私」が消すんじゃない、 消すのは守護の神霊のお仕事
「消えたんだ」 と思えなければ、守護霊さまに その荷物を預けてしまって、
それ以上想いの荷物を掴まないで、 いったん荷物のことを忘れるつもりで光の中に(祈りの中に)入ればいいのに。。。
と、消えてゆく姿と格闘している人を見ると そう思います。
大きな荷物の時は、そりゃぁ光の中、祈りの中に入るのには時間もかかるけど、
今は印や呼吸法もある・・・・
人間は本来神の分御霊 なのだと知ったら、それ以外は消えてゆく姿なのだから、
消え去っていくものへ意識を向けたってしょうがない。
分御霊の方へ どんどん意識を向けなくては。
人間は本来分御霊 と知った時から、もう果因説が始まっているんだと思う。
あとは、 因果律から果因律への思考回路の転換。
これが一番やっかいなのか。。。。
いずれにしたって、消えてゆく姿の教えはとても大切なもの。
入り易く判り易い教えだけど、深い。 これがなければ果因説もやっていけない。
意識の切り替えもできない。
宣言と印。
継続が大切だなーと思う。 怠けると、ささいなことで心が重くなってくる。
宣言や印を組んだ後の、スコーンと突き抜けたような軽さが好きです。
だから毎日続けて行けるのだと思います。
宣言が、少しずつ自分の言葉のように語れるようになってきました。 ちょっと嬉しい♪
自分が自分に向かって発する。 自分以外の誰かに言うわけではない。
誰かに納得してもらうために言うのでもない。
だから、どんな自分であろうとも、それは気にせず堂々と
「我即神也」 「私は本来神である、神そのものである。 本来完璧そのものである。
まったく完璧に大調和された神そのものである。」
と宣言。
果因説を信じて、言霊を信じて。
講師、導師、たまに研究員の方の いろんな講話を聴いてきたけど、
みなそれぞれタイプが違う方々。だから真理の説明もそれぞれ違う。
今は、どんな講話を聴いても、読んでも 以前のようにグラグラ揺れることがなくなりました。
自分に合ったやり方を掴んだから。 自分の選んだ真理への取り組み方を信じます。
あとは、昌美先生の毎月の法話に沿って、意識を上昇していけるよう果因説、言霊を信じてやっていく・・・のみ。
自立、目指してまっす!
by mppoe-light | 2011-10-28 22:40 | 真理について思ったこと