昌美先生の8時間の統一・・・・

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mixiピタゴラスさん ↓
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八時間の統一の成果

 『今の私は、表面に現われているその人の姿を見ているのではない。私はその人の背後に輝くオーラを確実に見てとっている。神の姿そのものを見ることが出来たのだ。私の心は、消えてゆく姿の業を見ているのではない。どんな人にも神の心が宿っている。その光り輝く真の姿を見ることが出来たのだ。私は無限なる神の愛に目覚め、いかなる人をも神の人として見てとっている。』
(96-11臨時増刊号  会長は八時間の統一の成果を説明しておられる。)

『不幸や苦悩に同情すること、またはそれに甘んじそれをよしとすることは、結局、一人一人がみな不完全なものに波長を合わせているということになるのです。』
(94-11 以下同じ)

                           ※

 「慈悲とは同悲同喜の心である」とは、よく聞いたものである。ところが、共に悲しむことは神の愛ではない。「これは自分の消えてゆく姿だからしょうがない。甘んじて受けよう」という態度は「真の消えてゆく姿」ではない。
 「愛」を知っているようで、知らない。「消えてゆく姿」を理解しているようで、理解していない。「八時間の統一」を聞いてはいたが、私自身その成果を良く理解していなかった。
 不完全な姿に自分が留まりながら、または人類の不完全な姿を見ながら、そこに祈りで光を降ろそうとする。それは一般的な方法かもしれないが、果因説の時代では、もう一歩進むべき余地がある。
それは、『神の世界に欠けたるもの、不足なるもの、不調和なるものなど一切ない。存在しない。神の世界に存在するものはすべてが完全で調和し、健康で豊富で、幸せそのものであることが当然である』と強く宣言することである。
同情すべきように見えるのは、『自分の五感の世界だけのことであって、神我一体の真の世界ではない』。一人一人の神の姿を視る「神の無限なる愛」は同情とは確かに異なる。

 自分を愛するとは自分の本心を視ることである。人類を愛するとは人類の本心を視ることである。
東日本大震災のような災害に苦しむ人を見ても、五感の世界を見ず、『神の人と見てとる』程の愛が世界を変えてゆく。現象や過去は『神の人の姿』を隠すばかりだ。
神人は、現象や過去を『消えてゆく姿』と見て、すべての人を『神の人と見てとる』ほどの『神の無限なる愛』を発揮するよう要請されている。

 自分の本心を視てゆくならば、過去は消え、現象は消えてゆく。自分と本心が向き合うならば、「我即神也」が残るだけだ。本心は自然に語り始める。
『私の世界に欠けたるもの、不足なるもの、不調和なるものなど一切ない。存在しない。私の世界に存在するものはすべてが完全で調和し、健康で豊富で、幸せそのものであることが当然である』と。
 そのように、意識は神の世界にすっぽり入っていながら、この世的には超然たる態度を人前では取らない。人の話をよく聞き、人の心をよく理解する。そうしてこられた五井先生は、偉大だと改めて思う。

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「これは自分の消えてゆく姿だからしょうがない。甘んじて受けよう」という態度は「真の消えてゆく姿」ではない。

 消えてゆく姿だ と観じたら、その想いは因縁因果の回転から抜け出さねば・・・
そして、祈りによって光の中、神様につながってこそ 本当の“消えてゆく姿で世界平和の祈り”だと思ってます。


自分の本心を視てゆくならば、過去は消え、現象は消えてゆく。自分と本心が向き合うならば、「我即神也」が残るだけだ。本心は自然に語り始める。

これが真の祈りの姿 生命の姿・・・・
なんちゃって・・・・☆
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by mppoe-light | 2011-08-20 19:58 | ピタゴラスさん啓示録から