自分が自分をどう思っているか

想念の背後にあるのは自己意識=自己像(自己評価・自己イメージ・自己定義)
「自分が自分をどう思っているか」 自己像から自分が体験する世界が展開されている・・・のだ☆
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自己意識より諸々の意識・想念・信念が派生する。すべての想念の背後には自己意識がある。意識・想念・信念はプロジェクターを使って体験を生起させる。体験は罰によって完結するのではなく、自己意識の軌道修正を促すように生起する。つまり、因縁因果・想念の法則である。これが一つのパラレルワールドを形成する。
それぞれの自己意識にはそれぞれのパラレルワールドが派生している。いくつかのワールドの中で、最もエネルギーの高いものが肉体界で体験されるのである。
最も高い自己意識・我即神也に派生するワールドは天国であり、御国と呼ばれる。既に出来上がっている世界である。因縁因果によってできた世界とは別世界である。既に出来上がっているから果因説の世界である。
太初に『我即神也』ありき。我即神也は原初の意識であり、永遠の生命である。生命の響きは言であり、言によって神の歓びに溢れる世界が生まれた。その神の歓びに溢れる世界を、我々は肉体界で体験することを選択したのである。それは必ず大成就する定めとなっている。

(啓示録Ⅰ)



すべては自己意識より発する。
すべては自己意識より生起する。
凡夫の意識より因果説の世界が展開する。
我即神也の意識より果因説の世界が展開する。
太初に神の既成事実の世界が成就していた。
それ以外のものはなかった。
すべては神のそのものの展開した姿であった。
神はそれを物質界に降ろそうとされた。
今日まではそのプロセスであった。
今まさに、地球的規模の大成就の時が来た。
神の既成事実を降ろすから果因説と言われる。
既成事実とは、我即神也、人類即神也、世界人類即平和也
既成事実は人間の意識以前に成就し
人間の意識によって、一切影響されない。
人は我即神也の意識を通して、既成事実を見る。

人類即神也・世界人類即平和也を見る者は神である。
消えてゆく姿を見る者は凡夫である。
凡夫は消えてゆく姿を、在ると見て、再体験する。
神は人類即神也・世界人類即平和也を見て、そして体験する。

2008/07/17 (啓示録Ⅲ)
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真の赦し

赦しは自己意識軸上の上昇、つまり次元上昇のキーポイントなのである。

赦す赦さないは、自分にとって人類が何者であるかを定義する。
人類をどう定義するかによって、自分は自分を定義している。
赦しは、自分を赦すことである。
赦しは『我即神也』の行為であり、『我即神也』の確認である。
赦しは『人類即神也』の実践であり、それは『我即神也』の表現である。

「神から離れた想い」つまり、「自分は神とは別の存在になってしまった」という錯覚が無明,無知である。無明・無知から罪悪感が生じた。罪悪感は報復の恐怖感になった。
これが、「我は神に非ず」という自己意識の思考システムの根幹と言われている。
もちろん、この原罪を通して自分を評価すべきではない。原罪意識は夢のような迷いの現象を継続させ、固定させるには最高の観念だった。しかし、真理は「自分を最高の存在として評価せよ。そして、自己意識を上げよ。」である。
自分が神から離れたという事実は錯覚であり、事実としてはない。
業生の世界(錯覚の世界)は神性の世界に影響を与えることはできない。神性は業生によって、変化しない。本来的には錯覚はない、業生の世界もない。

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神性のシステムの世界と業生のシステムの世界は接続関係がない、時間軸上でも繋がらない。わずかに自己意識軸という三次元世界では判らない次元軸の上昇によって繋がってゆくだけである。
「問題がある」と言う意識では問題を解決できない。それと同様、「悟ろう、自分の欠点を克服しよう」という意識では、神性の世界には入れない。現象界の姿とは一切関係なく、神そのものたる自分をイメージしてゆく。この努力を徹底して継続する。ここに要諦がある。
この努力は自分を愛する努力である。自己意識を神性の世界に上昇させるとは、人格(世間的な意味)、境遇を引き連れて上昇するものではない。逆に、自己意識はそう言った現象界から切り離されることになるのである。
しかし、この現象界はどうでもいい、何でもいいとはならない。
我々には、肉体・仕事・働きを通して神性を顕現する天命があるのである。人格、境遇は後から付いて来るものである。
重要なのは、我々は、現象世界を改善しつつ、神性の世界に上昇するのではないと言うことである。我々は現象世界を忘れて、自己意識を上昇させ、現象世界に神性を顕現すると言うことである。
業生の世界から神性の世界への上昇は、意識軸のみによって可能である。他のものは一切つながらない。むしろ、他の要素は一旦、自己意識から切り離される必要がある。
二つの世界があるように見える。
しかし、究極的には一つである。
「我即神也・人類即神也・世界人類即平和也」の世界は在る。
「本来の姿」の世界は在る。
この世界は常時、光り輝いている。
業生の世界は本来ない。
「消えてゆく姿」の世界は本来ない。


我々の旅は因縁因果の返済の旅ではない。返済は不要であり、本
来の自分は因縁因果とは関係がないと気づく旅である。返済は完済
によって終わるのではなく、返済不要と気づくことによって終わる
のである。返済不要に気づくとは、赦しと愛と神性顕現によって成
就する。

啓示録Ⅳ
mixiピタゴラスさん
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by mppoe-light | 2011-08-12 17:22 | ピタゴラスさん啓示録から