宣言すること☆天命を完うすること

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mixiピタゴラスさん ↓
生命(いのち)の宣言

 『神なる本源に直行し、自らの真なる姿を認識してゆくことである。
 神と完全に大調和、融合した“我即神也”という本来の自分を宣言してゆかねばならない。
そして素直に純粋にその真実を受け入れてゆくべきなのである。
自らが宣言した通りに自らの人生は導かれ運ばれてゆくのである。』(2003/04/P.20)

 『“我即神也”そのものを思考し、意識し、イメージし、宣言し、印を組むならば、自らの内なる生命エネルギーは“我即神也”そのものに向かって集中的に流れ入り、それを成就せしめるように働きかける。だから、必ず成就するのである。これは宇宙の法則、真理の法則である。』(2003-05P.19)

 『この(白光の)祈りは、印は、全世界全人類に対して、平和と調和を宣言するものである。我々の行為は神の最も崇高な愛のヴァイブレーションであり、究極の真理の発信でもある。』
(2003-8P.17)
 

五井先生は「祈りは生命の宣言である」と言われた。この場合、宣言とは個人が真理を自他に表明し、言い切ることである。生命とは宣言する主体である。かつ、生命の真の姿を宣言するわけである。意識をもった生命体が「自らの真実の姿」を宣言することが祈りである。
『私(達)』が『私(達)の真実の姿・私(達)の神の姿』を宣言することが祈りである。

 「自らの真実の姿」は宇宙神の創造活動によって既に成就している。これは「神の法則」である。その「真の姿」を現象界に映し出す。それは「想念の法則」という「現象界の法則」を通して映し出される。その法則を動かすのが「言霊」である。祈りの「真の姿を宣言した言霊」が、「真の姿」を「現象界の法則」を通して現象界に顕現させる。それを「宣り出す(のりだす)」と言う。


今まで、「祈りとは、生命(いのち)がのりだす」 という五井先生の言葉の意味を、
「祈ることが、正しく生きることになる・・・」 程度にしか考えておりませんでした。

この場合、生命(いのち)は、肉体人間の生命ではなく、本体(本心)のことであって、
本体(本心)が現象界でそのまま顕れるために(本心のまま生きるために)祈る=宣言をする
 祈りの「真の姿を宣言した言霊」が、「真の姿」を「現象界の法則」を通して現象界に顕現させる。それを「宣り出す(のりだす)」と言う。

ふむふむ・・・。


果因説を学ぶようになって、五井先生の言われた言葉に深い意味があることを発見して、
驚くことがあります。 
つまり以前は、五井先生の著書を読んでも、それほど理解してなかった・・・と言うことです。
それなのに、その時は、自分ではそこそこ五井先生の教えを理解したつもり になっていました。 その頃の私は、まだ浅かった・・・のだ。 

、初めはこんなもんだ。

五井先生、昌美先生の教えは深い 
真理は深い、どこまでも・・・。 なんちゃって☆
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 だからこそ、「自分は自分を何者と考えているのか」「自分は自分をどう評価しているのか」が大事なのである。
人は無意識になると、「自分は肉体人間である」と想い、「自分を神より低い存在、罪深い存在、不完全な存在」と想うのである。人は自分のイメージを捏造する。その偽りのイメージが「現象界の法則」を通しその偽り通りのイメージを再現している。これがカルマである。

 自分の自己評価が自分の現象の姿を決定する。それが自分に対する他の人の接し方・態度を決定する。それによって、人が採点する自分への評価が上下する。その結果、現代人の多くが人間関係において、ストレスを感じ、疲労感を味わうことになる。これは不可抗力ではない。積極的に「我即神也」を承認して、乗り越えてゆくべきものである。
 

自分の自己評価が自分の姿を変え、その結果、自分に対する他の人の接し方、態度が変わる・・・
実際に少し体験するようになったような・・・。

印、神語の効果、宣言の効果だぜぃ!

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人は、「消えてゆく姿」の過去のテープを巻き戻して、神性を否定する想いを出す。
しかし、人には自己の神性を放棄したり、神性に損傷を与えることはできない。「消えてゆく姿」から意識を離し、神性を積極的に宣言し承認して行くことはできる。自分が自分に下すべき真の評価は宇宙神によって確定されている。真の評価は「完璧、完全、最高、至高、神性、神聖、神そのもの」である。この世が与えたすべての評価を思い出さなくてもよい。逆に、この宇宙神から与えられた評価を忘れないように。

 あなたはカルマの結果ではない。あなたは宇宙神と言う原因が創造した結果である。その宇宙神が創造した結果は「神の姿」として既に成就している。これが「我即神也」の真意だ。その結果である「神の姿」を宣言し承認することから物事は始まる。「果因説」と言われるのはこのためである。
 カルマの働きがあろうとなかろうと、「カルマの結果を受けるだけの人生をやめて、神性を顕現するだけの人生を送る。
これが「我即神也」「天命を完うする」と言うことである。


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by mppoe-light | 2011-05-19 22:51 | ピタゴラスさん啓示録から