意識を復活させること

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意識変革

 『人類の変革は意識レベルから起こってくる。人類の変革は、まず意識の上に起こり、そのあと必然的に肉体的、物質的環境、状況が自分の思い通りに展開してゆく。人類は自らの意識変革によってのみ、本来の真理(我即神也)の自分に目覚めてゆくことが出来るのである。』

 唯物論では、社会変革はまず社会システムの破壊から始まる。社会システムの変革こそが人間の精神を変えるのである。唯物論では人間意識は物質に規定され、支配される。意識は物質の産物なのである。
他方、「我即神也」の変革はまず、意識の上に起こる。そのあと必然的に肉体的、物質的環境、状況が整う。意識の上での変革とは、「見える姿・現われた姿」によって自分を定義する習慣を止めて、「真理によって」自分を定義する習慣に戻るということである。それは『人類が自分を過小評価してきた誤った生き方から解き放たれ、自らの真価に目覚めてゆく』ことである。
 
この変革は個人に始まる。しかし、個人で終わることはない。社会と関係なく、個人だけがよければいいのではない。社会のため個人が犠牲になることもない。「我即神也」ならば「人類即神也」なのである。神性に貫かれているのは人類だけではない、すべての生命、地球世界のすべてが神性に貫かれている。「個人・人類・地球世界同時成道」つまり「すべては大成就」なのである。

 「我即神也」がしっかりできないと、深い「人類即神也」はできない。「我即神也」がしっかりできたならば、自然に「人類即神也」ができる。「人類即神也」は「我即神也」を深めてくれる。地球世界感謝行も同じである。自分の神性を認めるからこそ、地球世界の神性を讃美できるのである。地球世界の神性讃美は「我即神也」を深めてくれる。

意識変革は神性の復活である。自己と人類と万物の神性復活である。「消えてゆく姿」を行じて、自分の内に不完全性を認めず、神性のみを宣言し承認する。そうすれば、人類にも万物にも神性のみを宣言し承認することができる。
 
精神の変革は理性が行う変革であり、意志と自力の道であった。社会の変革は唯物主義の変革であり、破壊の道であった。意識変革は果因説の変革であり、大生命主義の変革である。
 
意識の変革は認識の変革である。自分の神性を宣言し承認することである。実績によって自分を評価するのではない。現われによって自分を評価するのではない。経験によって自分を評価するのではない。過去によって自分を評価するのではない。これらの余分な評価を手放してしまうことが浄化である。余分な評価がなくなれば、自分自身が光そのものであることに気づく。
 
余分な評価をなくすとは自分の本質に気づくことである。自分の本質とは、「本来、元々、初めから、そもそも、既に、今、無条件に、いきなり」と言うことである。これが「即」の意味するところである。本質は既に宇宙神の創造によって成就している。既に成就しているものは、必ずこの地にも顕われる。すべては大成就。
 
意識の変革は光を求めることではない。意識の変革は、自分の本質が光そのものであることを思い出すことである。「我即光也」なのである。自分自身が光であることを思い出す者は、人類に光を放つのである。人類に内在する光を呼び覚ます光を放つのである。地球世界に光を放つのである。地球世界に内在する光を呼び覚まさす光を放つのである。光は神性を照らし出す光である。

「私」についての宣言と承認は祈りである。

祈り
「私は宇宙神より聖にして神秘なる光を授かった。
その聖にして神秘なる光によって、
すべての不調和は赦され、癒され、光に変容され、消されて行くのである。
私は言葉・想念・行為・肉体にすべての神性を
余すところなく、足らざるところなく完璧に顕現する。
私は世の光である。
人類の神性を照らし出す光である。
地球世界の神性を照らし出す光である。
すべては大成就。」
『  』白光誌2008-10
mixiピタゴラスさん

精神の変革は理性が行う変革であり、意志と自力の道であった。社会の変革は唯物主義の変革であり、破壊の道であった。意識変革は果因説の変革であり、大生命主義の変革である。

c0074000_2241253.gifなんか、かっこいいぃぜ! ピーさん!
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これらの余分な評価を手放してしまうことが浄化である。余分な評価がなくなれば、自分自身が光そのものであることに気づく。
 余分な評価をなくすとは自分の本質に気づくことである。


余分な評価が意識の根底にあるから、否定的な反応、感情を作りだしてしまう。。
余分な評価は、 
「人間は本来神・・・と言われても、自分は神とはかけ離れている、自分は神にはなれない・・・」 という判断、選択をする。

人間が抱える様々な問題”消えてゆく姿”の 発生の根っこには 「自分は神ではない」と自分否定している意識があるから、 
その意識が、次から次に業想念を生産しては、ますます自分を神から遠ざけてしまう。。。。。

ならば、おおもとの 「自分は神ではない」 から 「自分は本来神である」に意識をひっくり返すべし。 というか、元通りの意識(我即神也)に直す・・・のだ☆。

因果説時代は、 3次元から4次元を見上げて“消えてゆく姿”をしていたけど、
21世紀になり もう富士は4次元。
4次元(意識)から自分を観る訓練をする。

「私」は我即神也、それ以外は “消えてゆく姿”。 

自分自身が光であることを思い出す者は、人類に光を放つのである。
人類に内在する光を呼び覚ます光を放つのである。


神性意識をつくる
真の神性復活が始まる 
<5月号 法話から>
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by mppoe-light | 2011-05-01 22:55 | ピタゴラスさん啓示録から