ダウンロード

人間はただ無限の光(神)の創造性を行動に移し、神の姿を客観的に現わそうとしている者であって、悪といい善というも、全面的に神が現象界に現れるまでに織りなす光と影の交叉

祈りとはまず自分の心を空っぽにすることである。それまでの自分をひとまず捨てて、
神だけを自分の心に住まわせることである。
                            <「神と人間」 >

実在の世界の完全円満な、大平和な大調和した、そういう光の世界を
この地球界に導き降ろそうとするための世界平和の祈りなんですね。
                       <五井先生講話「新しい世界を築く」>


人間は本来神の分御霊 
我即神也 神だけを心に住まわせ、大平和、大調和した光の世界を導き降ろす
c0074000_23334514.gif

ダウンロード  

パソコンが普及した時代ではダウンロードという言葉は頻繁に使われる。
ホストコンピュータから端末にデータを送信することであり、端末からすればデータを受信することである。古いデータが記録されていても、端末側は古いデータを受信した新しいデータに更新してしまえば、古いデータは消えてしまう。逆に、端末のデータをホストコンピュータに送信することをアップロードと言う。

 「人間は本来神の分霊である」と言うことは「人間はいつでも、どこでも宇宙神の光をダウンロードできる」と言う意味である。果因説の意味も同じである。「消えてゆく姿」+「今からよくなるのである」という宣言は『更新』のことである。
祈りも印もこのダウンロードなのである。五井先生は「祈りとは電気のスイッチをいれるようなもの」とよく言われた。今風に言えば、祈りとはダウンロードを指示するためにクリックすることである。
困難から逃れるために、自分の窮状を神に訴えるアップロードは真の祈りではない。神とのコンタクトとは、あくまでもダウンロードなのである。

 ダウンロードするデータは神界に厳然と存在している。しかも、そのデータは現象によって変化することはない。誰が何をアップロードしても、その神界のデータは不変不滅なのである。
自分の神聖さと完璧性は既に成就しているのだから、それをダウンロードすればいい。
これは果因説の醍醐味である。
不完全性を完璧性に磨き上げることは挑戦しない方がいい。それは自力行である。

 少々の訓練を要するのは『更新』という方法である。古いデータの履歴が自分だと思い込むことが『更新』を妨げるからである。しかし、神人たちは知らぬ間に『更新』をクリックし続けてきたので、自覚する以上に『更新』は進行しているのである。
↑mixiピタゴラスさん

c0074000_23353591.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2011-03-21 23:36 | ピタゴラスさん啓示録から