創造は本来果因説

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今、因果説から果因説へと 
意識の在り方、思考回路 を移行中なのですが、

因果説に対して昌美先生は 果因説を提唱されました。
因果説から見ると、神の創造活動は果から→因へ、今までと逆転した順序で創造しているように見えるので、因と果をひっくり返して、新しく果因説となりました。 
でも
本来、無限なる宇宙は完成(成就)されたもの、それを形に顕すために創造活動を行う。
だから、
21世紀になって果因説の考えが新しく誕生したものでなく、果因説とは宇宙の活動そのものなんだ・・・本来の創造の仕組みが そもそも果因説なんだ・・・。 と、思いました。

因果説で生きつことに慣れてしまっているから、果因説が新しいと感じてしまうけど、
本来人間(神の分御霊)は使っていたはず、果因説を。
それをすっかり忘れてしまっていたのかぁ。。。

とかなんとか思っておりましたら、、、
昨日、いつものように寝る前にファイルをペラペラとランダムに開いて読んでおりまして、こんな文章を見つけました。 
丁寧に赤いペンでアンダーラインまでひいてる・・・。・・・我ながら、けなげ・・(笑)
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神の創造の手法は果因説である。
果因説の成就は『我即神也、本来神に欠けたるものなしという徹底した完全調和、完璧、完成、無限なる能力、創造性、可能性を信じることからワンステップが始まる』(注1)。

人間の現実世界の創造はカルマに基づくものである。カルマの世界では現実世界の改善を目指す。それはいつも、過去に基づき未来の改善を目指す営みである。
それとは違って、神の現実世界の創造には「既に成就している」という決まり事がある。
果因説に拠る創造は、神界の様相を地に降ろす営みである。結果的に因果の世界は改善されてしまう。
しかし、それは過去からの延長線上にはない。むしろ現われてくる姿は未来からやって来たように見える。「我即神也」の『私』にとって、現実世界は改善されるのではない。現実世界はない(消えてゆく姿)のである。既に輝かしい世界が、「我即神也」の『もう一人の私』と共に「もう一つの人生、もう一つの世界」として厳然と存在しているのである。

 神の創造の特徴は、『自らの願望がすでに成就した状態から物事が始められ、考えられてゆく』。神は『すでに我は成就したという時の歓喜、感謝、無限なる幸せを想像し、そこに意識をこめることによって、自らに内在せる創造力がその願望を成就なさしめるのである』(注1)。
神人が学ぶべきはこの神の創造、果因説に拠る創造の手法である。これこそが神人の天命である。

注1 2008-9  白光誌

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ピタゴラスさん 「我即神也・創造主・果因説」  から


そんなわけで、
長い間、勘違いして肉体人間としての「私」を生きてきたのだけど、
これからは宇宙に帰還するために、本来の神意識「私」に戻らねば・・・です。
意識の使い方を元通りにして(果因説)、祈り、印、神語をやるのみ。

我即神也 人類即神也
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by mppoe-light | 2011-01-26 23:06 | 真理について思ったこと