宇宙は自由意思、自由選択で・・・

宇宙は、自由意思、自由選択、で・・・自己責任

と言ったのは、松尾みどりさん☆(だと思う・・・)
もうかれこれ10年以上前に聞いた言葉だけど、

宇宙の法則はとってもシンプルなんだなぁ・・・と思います。
すべて自由、そして結果は必ず自分が受け取ることになってる。
自分の意識の在り方が結果となって(形として)手元に届く、ということで
自分の創造したものを常に確認することができる。
そういう仕組みになっている。
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人類はその自己の信念を体験しながら、軌道修正しているのである。
なのに、自分が体験する出来事は、自分とは全く関係なく自分はその被害者・・・なんて思って責任転嫁したり、 または自分を責めたり・・・・・
う~ん、せっかくの軌道修正のチャンスなのに。。。
真理を学ばないで生きる生き方は、危なっかしいし、もったいないなぁ・・・ と思う。
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自分自身についての信じたことはすべて現実化する。これは『空の約束事』であった。
何を信じようと『神なる自分』はすべてを思いのままに創造することができる。神に備わった無限なる創造力と自由、供給である。その力は生命の働きそのものである。
 そこで、何も確たる信念がなければどうなるのか。平々凡々たる人類の平均値の人生が現れてくるわけではない。余計な自我の信念が、全くなければ、人は神の姿を顕わすばかりなのである。これは本来因果であり、果因律であり『空即是色』である。絶対力、神力の世界である。


この説明はありがたかったなぁ☆ 
人間は本来神の分御霊、繰り返しそれを認めねば・・・☆


 しかし、自我をなくすのではない。自我と格闘し、自我を滅却することは自力の道である。この道は困難を極める。自我は無限なる創造力を利用し、『空の約束事』を利用して、自分は神ではないという信念を現実化させている。人類はその自己の信念を体験しながら、軌道修正をしているのである。人生の中では、「消えてゆく姿」も「神性顕現」も自分で起こさない限り、何も起こらない。自分で起こしたことを体験する。これも『空の約束事』だ。

では、いかにして、絶対力、神力が働く状況を顕わしてゆくのか。神性を顕現してゆくのか。それは「我即神也」の信念をもって、「我即神也」を思い出してゆくのである。「我即神也」に目覚めてゆくのである。気づいてゆくのである。
自我の業を浄めるのではなく、『もう一人の自分』に焦点を合わせてゆくのである。我々が真理に基づき、自分が誰であるか、『もう一人の自分』が何であるかを宣言しつづけるとき、『空』の原理は「空即是色」として機能する。我々は「我即神也」の真理、神性を現実世界で体験するのである。


自分の意識を内側の神さまに向かって統一していくと、
(って、こんな風に書くと大げさですが、) 
たとえば本心のつもりで神語を読んだり、神意識となったつもりで
印を組んだりしてみる、 すると意識は、歓喜、感動、広がり、豊かさ・・・(言葉でうまく表現できないけど) 広がりを感じてきます。 
その時の私は、歓喜、広がり、豊かさを法則の通りに創造しているのだろうと思う。

『私』は光から来た者。『私』は神そのもの。『私』はどこであろうと、いつであろうと、肉体を持ったまま神の姿を顕わすばかり。『私』には過去はなく、カルマもない。『私』は光だけで、すべてを描き切る。『私』が描く世界が、五井先生の説かれた平和の世界。
『私』は神。創造主。どんな場であろうと、『私』が「消えてゆく姿」と宣言した瞬間、小さい私は消え去り、『私』が蘇る。『私』の言葉は言霊。言霊はすべてを創造する威力(注2)。

光が形となると愛、真理、叡智、健康、幸せ、喜び、若さ、豊かさ、、、となる。『私』は言霊を使って、自在に光を形に顕わしてゆく。『私』は神だから自由自在。神の光には限りがなく、遮るものがない。

注2  「言霊は威力です」2010/10/03富士聖地

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『私』が「消えてゆく姿」と宣言した瞬間、小さい私は消え去り、『私』が蘇る。、
この言葉にはお世話になっとります。

そして、神語として印を組む前などに・・・ 

私は光から来た者、光を形に顕す者 

と宣言。
今この言葉が気にっています。


 宇宙神の光は地上にあまねく降り注ぐ。
どんな自分であろうともいかなる自分であろうとも、本来我即神也、人類即神也

私は神の光を形にする、宇宙の子、創造者です☆
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by mppoe-light | 2010-12-16 23:21 | 真理について思ったこと