語ること 創造すること

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「我即神也・創造主・果因説 」 

我とは何ぞや?「我即神也」である。

『私』が同一化すべきは神のみである。神の性質は神性である。神性は光明の言葉で表現される。「我即神也」は神の自己宣言である。自分が何者であるかの宣言である。神が自己宣言するのは神性を顕現するためである。それは現実世界の創造である。

 神とは創造主である。神は自己の世界を創造する存在である。「我即神也」とは『我は創造主の一部。自らの人生は自らが想像し、創造してゆく』と言う意味である。『我即神也の自分は本来、創造主、神の分霊であるから、自分の想うことは創造できるものである』(注1)。

 神の創造の手法は果因説である。
果因説の成就は『我即神也、本来神に欠けたるものなしという徹底した完全調和、完璧、完成、無限なる能力、創造性、可能性を信じることからワンステップが始まる』(注1)。
人間の現実世界の創造はカルマに基づくものである。カルマの世界では現実世界の改善を目指す。それはいつも、過去に基づき未来の改善を目指す営みである。
それとは違って、神の現実世界の創造には「既に成就している」という決まり事がある。果因説に拠る創造は、神界の様相を地に降ろす営みである。結果的に因果の世界は改善されてしまう。
しかし、それは過去からの延長線上にはない。むしろ現われてくる姿は未来からやって来たように見える。「我即神也」の『私』にとって、現実世界は改善されるのではない。現実世界はない(消えてゆく姿)のである。既に輝かしい世界が、「我即神也」の『もう一人の私』と共に「もう一つの人生、もう一つの世界」として厳然と存在しているのである。

 神の創造の特徴は、『自らの願望がすでに成就した状態から物事が始められ、考えられてゆく』。神は『すでに我は成就したという時の歓喜、感謝、無限なる幸せを想像し、そこに意識をこめることによって、自らに内在せる創造力がその願望を成就なさしめるのである』(注1)。
神人が学ぶべきはこの神の創造、果因説に拠る創造の手法である。これこそが神人の天命である。

 果因説に拠る創造の世界、神の創造の世界は『完全なるポジティブな世界、光の世界、神の世界、自由なる世界、一切欠けたるもののない世界、輝かしい世界、至福の世界』(注1)である。この神人による至福の世界の創造によって世界人類の平和が成就するのである。

 もう既に、『私』は神なのである。『私』の人生は輝かしい人生である。『私』の世界は平和で豊かで調和しているのである。私も、私の人生も、私の世界も喜びに満ち溢れている。幸せに満ち満ちている。どこを見ても至福しかない。この宇宙神が創造し給いし完全平和な世界を歓喜、感謝、幸せの気持ちで意識を込めて想像してゆく。この想像は、内なる神の創造力によって必ず成就する。

 「自分の世界は自分で創った」という教えがある。それは不幸・理不尽の原因を決して他に求めてはいけないということである。かといって、自分を責めてはいけない。過去の自分のいたらなさ、不完全さ、思い違い、失敗、強欲、、、、、、何一つ分析して、ほじくり返すことはない。そのような事実とは関係なく、『私』は神なのである。
神なる『私』は自由自在に何でも赦すことができるし、何でも創造することができる。
『私』はそのような過去の分析によらず、果因説を駆使して自分の輝かしい人生を創造することができる。「何でいつもこうなのか?何所でどう間違ってこうなったのか?」と考える必要もない。
現状がどうであれ、『私』は神そのもの。『私』は自由に自分の人生をデザインし、現実化することができる。

世界の情勢も社会の情勢も関係ない。それらは過去の人類の創造の結果である。
神なる『私』は世の中とは関係なく、神の世界・自分の本住の世界を想像し、それを創造する。
『私』の想像を限定するものはなく、『私』の創造を制限するものはない。
『私』は歓びに満たされながら自分の世界を創造する。歓びに満ちた世界を。

注1 2008-9  白光誌



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「創造」

五井先生は私達に意のままに自由に創造し、かつ全体が調和し平和な世界を創造することを望んでこられた。私達一人一人が神として、神の姿を顕わしてゆくことを望んでこられた。この一人一人が天命を完うすることが世界平和実現なのである。

 我々が肉体人間として生きる、つまり自我に生きる限り、カルマの人生がある。このカルマの人生をスイッチオフにしながら、神性顕現の人生のスイッチをオンにする方法が白光の教えなのである。現象から『私』を切り離す「消えてゆく姿」と、『私』を神と重ね合わせる印・統一・呼吸法を兼ね備えたのが白光の教えなのである。
 過去における現実世界の創造は芳しくなかったかもしれない。だが、『今』つまり果因説における現実世界の創造は2010年から本格的に始まったのである。それは、『否定的な言葉を光に変容させる神事』と「チャクラが開いたこと」によって本格化したのである。

 21世紀、人類は創造者の立場に立ち帰る。そして、その現実世界を創造する楽しみに夢中になる。現実世界の消えてゆく姿に苦悩してきた人類が、現実世界の創造に夢中になるのである。
人間世界の創造は、自己意識の軌道修正を意味するため、想像→創造に時間の経過が必要になる。
しかし、神性顕現の創造は、神の創造であるから、想像→創造に時間がかからない。
少しでも自分が自分の現実を創造していることが分り出すと、しめたものだ。そうなるためには、「我即神也」と果因説を正しく理解することだ。その一番簡単な実践法が神語を唱えることである。

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  <神語>>>>
  宇宙神が備えられた出来事、出会い、能力は推し量ることはできません。
  それらは既に神界の様相として成就しております。
  『私』が、今日創造し、体験することは全く新しい事々です。
  過去のカルマのことは思い出されることはありません。
  『私』は神界の様相を体験するのです。

  今日、『私』に起こること、生ずること、現われることは
  すべて善きことのみ
  素晴らしきことのみ
  輝かしきことのみ
  幸せなことのみ
  それが神界にて約束されている(注1)

  今日、『私』が起こすこと、現わすことは
  すべて善きことのみ
  素晴らしきことのみ
  輝かしきことのみ
  幸せなことのみ
  『私』はそれを宇宙神と約束いたします

  今日、『私』は今までにない善き人生を体験します
  『私』は今までにない素晴らしき豊かさを体験します
  『私』は今までにない輝かしき健康を体験します
  『私』は今までにない幸せな出会いを体験します
  成就


注1  インフィニットワーズ73 2006-1
mixiピタゴラスさん から掲載
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by mppoe-light | 2010-10-04 22:43 | ピタゴラスさん啓示録から