新しい自分を築くつもりでリハビリ☆


浄化から顕現へ
白光の祈りにはいつも三つの働きがある。
①カルマを浄化し、消す働き。
②自己の神性顕現の働き。
③人類を真理に目覚めさせる働き、
である。個人人類同時成道であるから、白光の祈りには常に三要素が
含まれている。
しかしながら、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」では
①の個人的な救われに軸足があった。ある時、そのカルマの浄化から
神性顕現の方に、時代が求める重心が地球的規模で移動したのであっ
た。それは2006年9月24日第一回黎明祭のことであった。

西園寺昌美先生は説かれて曰く。

(黎明祭では)彼ら(神人)は過去の歴史を浄めるのではなく、輝かしい未来の一点のみを見つめ、それを現実に引きつけたのである。
その輝かしい未来とは、対立のない、すべてが大調和した平和な世界である。(白光誌2006年12月)

あとはいよいよ、人類の未来に輝かしき神の世界を顕わしてゆく
ことのみである。地球上かつてない輝かしき未来を創造していくこと
に全力を注いでいくのである。

『もうこれ以上過去を浄める必要はない、ほとんど浄め去った。
白光の大天命とは、種々さまざまなるマイナスの現象を祓い浄めることではない。
苦悩や悲惨さを浄める必要はない。汝らは人類一人一人を究極の真理に目覚めさせ、地球人類を救済するという任に当たるのである』(宇宙神の神示)。(白光誌2007年3月)

この時代の変化に、我々の思考回路を意識して合わせる必要がある。
現われた現象については、徹底した「消えてゆく姿」を行じるものの、自分から何かを浄めると言う発想を止めることだ。
業を光に対抗、拮抗する力と見ないことだ。我々の意識をフォーカスするポイントは『自己の神性と人類の神性を見つめること』のみである。
このポイントにエネルギーを集中することによって、我即神也は顕現を始める。
『煩悩を断ぜずして涅槃に入る』と言われるように、四次元的果因説では、因果の世界は汚れることも浄化されることもない(「不垢不浄」)ので『放っておいてよい』(同上、宇宙神の神示)。
我即神也の自己イメージに意識を集中するだけでいい。光明燦然たる神なる本心を呼び続ければよい。
自分の直霊より愛、英知、歓喜、幸せ、、、、、、が無限に溢れ出て、人類に光明を放つ姿を思い描けばいい。『見つめること。想うこと』だ。それが印であり、神事であり、祈りである。
2008/03/04

注1「生命光り輝け」P.10-15

注2 三次元的因果説の凡夫は、外なる現象に対して条件反射的に反応しながら、言葉・想念・行為を現わす。
四次元果因説の「我即神也」は内なる無限なる神性を、外なる現象界の言葉・想念・行為に顕現する。

啓示録Ⅰ から
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徹底した「消えてゆく姿」を行じるものの、自分から何かを浄めると言う発想を止めることだ。
業を光に対抗、拮抗する力と見ないことだ。
我々の意識をフォーカスするポイントは『自己の神性と人類の神性を見つめること』のみである。

このごろやっとこの意味が理解できるようになってきた・・・。。

果因説は、目に見えない神性側から思考していくようにしないと。。。因果説の穴に落ちる(T T)
リハビリが欠かせない。


因縁因果の自分を一度ご破算にして、(消えてゆく姿として諦めて、捨ててしまって、)
新しい舞台に本来の自分自身を映し出す。
古い自分を修正するとか修復とか再構築するということはないのだ!(よく混乱してしまうけど)
本来の自分はすでに完成されたものだから。
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五井先生の講話集 地球の未来と人類の進化 新しい世界を築く から

これから世界は、古い世界がそのまま改造されていくのではないのです。
古い世界のしきたりの習慣の想いの世界、それをそのまま引き継いで、それが少しずつ良くなっていく・・・・という形ではないのですよね、新しい力新しい世界が築き上げられる
ですから、ここんとこが非常に難しいところでありましてね、個人個人はもとより国家人類となると・・・・(省略)非常に難しい。
そこで、
どうにもならない世界をどうにかするにはどうしたらいいか・・・・というと、 
新しい世界を改めて築き直さなければ駄目なんです。
古い世界が直っていくんじゃなくて、それが消えてゆくと同時に新しい世界がぽっかりと出来上がっていく。

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この内容を個人に置き換えれば、 古い自分を(因縁因果の自分を)改造し直していくのではなくて、新しい自分(本来の自分である神性)を築き上げる。

・・・・ということで、、今の自分は我即神也のリハビリに取り組む。
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『事実は真実の敵なり』 から  (ピーさん mixi 9/8)

 自己認識においては、人類は「我即人間也」という事実を認めてしまって、「我即神也」と言う真理を忘れてしまったのである。
 現象(過去)は事実ではあるものの、因縁因果と言う限定的な状況での出来事である。何度も何年も続こうが、現象は一時的・限定的なことである。それは真理そのものではない。その中で人類は自分自身を見誤ってきたのである。

 我々は神性顕現を目指しながら、それとは逆方向の自分の姿に愕然とすることがある。
その場合、たいてい次のように考える、「自分に欠けているものは何か。至らないところは何か。自分はやはり凡夫なのか」と。このような発想は人類の歴史の中で何千年も繰り返されてきた。しかし、21世紀も同じ発想でいいのだろうか。

 「我即神也」の真理は、『リハビリを要する自己認識の問題』なのである。真理は一時的・限定的なものではない。無条件で既に成立している久遠のものである。

 全託とは「過去の記憶をすべて手放し、カルマによる生き方を放棄し、生命の根源的記憶である我即神也に基づいていきます」と言うことである。
宇宙の初めよりつづく「我即神也」には過去の汚れはない。「我即神也」には光明のみ、神性のみが刻印されている。『私』は過去によって汚されることなく、神性だけが『私』を貫き通している。『私』は自分の言葉で自分の現実を創り続ける神である。

 真に自分を知ることは真理を知ることである。それは自分を赦し愛することである。それは「我即神也」に尽きる。愛に溢れた世界を望むならば、先ず自分自身を愛することだ。


自分が自分を愛すれば愛するほど、世界平和が現実のものとなって来る。我々の旅は自己認識の旅である。しかし、観念論の旅ではない。自己認識を現実化する旅である。かねてから、人類は自己認識を現実化してきた。これからは、正しい自己認識を現実化してゆくのである。正しい自己認識によって「我即神也」を顕現してゆくのである。 

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全託とは「過去の記憶をすべて手放し、カルマによる生き方を放棄し、生命の根源的記憶である我即神也に基づいていきます」と言うことである。
この生き方を目指して、リハビリを継続せねば。。。と思うこの頃・・・・・

我即神也 我即愛也、我即真理也、我即光也

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by mppoe-light | 2010-09-11 11:01 | ピタゴラスさん啓示録から