既成事実を降ろすこと

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既成事実を降ろす果因説

すべては自己意識より発する。
すべては自己意識より生起する。
凡夫の意識より因果説の世界が展開する。
我即神也の意識より果因説の世界が展開する。

太初に神の既成事実の世界が成就していた。
それ以外のものはなかった。
すべては神のそのものの展開した姿であった。
神はそれを物質界に降ろそうとされた。
今日まではそのプロセスであった。
今まさに、地球的規模の大成就の時が来た。
神の既成事実を降ろすから果因説と言われる。
既成事実とは、我即神也、人類即神也、世界人類即平和也
既成事実は人間の意識以前に成就し
人間の意識によって、一切影響されない。
人は我即神也の意識を通して、既成事実を見る。

人類即神也・世界人類即平和也を見る者は神である。
消えてゆく姿を見る者は凡夫である。
凡夫は消えてゆく姿を、在ると見て、再体験する。
神は人類即神也・世界人類即平和也を見て、そして体験する。

既成事実は神性の展開である。
既成事実はそれを認めるだけでいい。
神には許可条件はない。
原罪なし、罪業なし、因果なし、課題なし、貸借なし、嘆願なし、
交換条件なし。


自分が自分を神と認めるだけでいい。
自分が自分を神と愛おしむだけでいい。
いいことしか顕われない自分、
素晴らしきことしか顕われない自分を認めるだけでいい。
2008/07/17
ピタゴラスさん啓示録Ⅲ から


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意識が主、形は従。
「自分は神ではない」 という意識が、神とかけ離れた自分を(消えてゆく姿の自分)を作っていた、だから
これからは既成事実「我即神也」を認め、体験する。

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祈りとは、まず自分の心を空っぽにすることである。
それまでの自分をひとまず捨てて、神だけを自分の心に住まわせることである。

願いごとは、すべて後まわしにすることである。神だけを自己に住まわせれば、その人に必要な願いごとはすべて叶うのである。

五井先生 「神と人間」から


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”消えてゆく姿”である、それまでを自分を捨てて、
そして神だけを自分の心に住まわせること。

本来の自分に復帰すること。
我即神也 人類即神也 
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by mppoe-light | 2010-08-20 21:19 | ピタゴラスさん啓示録から