「即」、認めた瞬間・・・

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『瞬間』の真理

 『神人たる者は、自らを神であると認めた瞬間、神のような創造者に立ち返るのである。』(2001-3)
『自らが自らを神と認めた瞬間、神と成るのです。』(白光1999-4)
『本来、祈った瞬間もうそれは成就されていると知ることです。なぜならば本来、人間の願いはすべて成就されているものだからです。』(1999-6)
『この印を組んでいる瞬間こそ、現象界より抜け出し、神の大いなる平安と祝福の中におり、宇宙神の光を今生に降ろしているのです。』(1996-7)

 因果説によると、何かを成就するには長年の努力が必要になる。まして、神に成るには無限に近い努力が要求される。ところが、果因説の世界は違う。時間的経過とか努力の積み重ねるプロセスや、艱難辛苦のプロセスは必ずしも必要ではない。ただし、果因説を体得するまでのリハビリ期間は必要である。

 言霊で宣言する、印を組むと言うことは既に神の創造活動なのである。それは空即是色の行為なのである。それは因縁因果の人生を手放して、本来因果を呼び込む全託の行為である。つまり、祈り印を組む者は果因説に徹することである。

 「まだまだ修行が足りない」などと言う言葉は果因説にはない。修行の足りない自分とは別に『厳然と存在する』、尊敬に値する神そのものの自分を認めるのである。そこから、毎瞬スタートするのである。「まだまだ」ではい、「もう既に」自分は神そのものなのである。自分は「そもそも」神そのものなのである。

 21世紀、「まだまだ修行が足りない」という言葉は謙虚さの表れではない。先ず初めに、現象の姿はともかく、自分自身のことを『我即神也』と認めるのである。自分自身を敬い、尊び、礼賛するのである。そして、法則によってその通り、敬うべき神の姿を顕現して行くのである(注1)。
何故、冒頭に見たように、西園寺会長は『瞬間の真理』を繰り返し説かれたのか。
『瞬間の真理』はすべて果因説なのである。我々が真理の世界に入り、真理の世界を現象界に呼び込むのに必要なのは、自己意識を変えさえすればいいのである。完全平和、調和、幸せ、健康、繁栄も既に確立されているのである。『厳然として存在する自分自身の本心』はすでに神そのものであって、平和、調和、幸せ、健康、繁栄を成就しているのである。必要なのはこの真理を追認することだけである。追認できない古い思考回路が邪魔をしているだけである。浄めなければならない悪因縁が邪魔をしているわけではない。果因説の思考回路に慣れないだけである。誰であろうが、自分を神と認めた瞬間、因縁因果を超えて、その人は神なのである。

注1 『人類はみな自分自身のことを
    敬い 尊び 礼賛する心をもって扱うならば
    自らは自らが礼賛した通りのものとなる
    
    自らを敬い 尊び 礼賛するところに
    癒しの力は無限大に働く』       
白光誌2000-3インフィニット・ワーズ

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果因説を体得するまでのリハビリ期間は必要である。
c0074000_22222510.gif絶賛リハビリ進行中☆時々迷うけど。。。うぅう・・・

言霊で宣言する、印を組むと言うことは既に神の創造活動なのである。それは空即是色の行為なのである。それは因縁因果の人生を手放して、本来因果を呼び込む全託の行為である。つまり、祈り印を組む者は果因説に徹することである。
全託。
結果はあとからついてくる。必ず良くなる・・・と、決まっている。
なぜなら我即神也だから。
余計なことをごちゃごちゃ思わず、本心の創造活動にエネルギーを注がねば・・・。

浄めなければならない悪因縁が邪魔をしているわけではない。果因説の思考回路に慣れないだけである。

悪因縁と神性は全く別の世界。 同じ場に感じるのは、「私」という意識が双方につながっているから。
(行ったり来たりするから)
別の世界だから「瞬間」の真理が成り立つ・・・ そうだ、そうだ、そうだった・・・☆

『厳然と存在する』、尊敬に値する神そのものの自分を認めるのである。そこから、毎瞬スタートするのである。「まだまだ」ではない、「もう既に」自分は神そのものなのである。自分は「そもそも」神そのものなのである。
自分の意識、認識が世界を創造するのだから、自分自身が自分を神と認めないと
何も(神性顕現が)始まらない。



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by mppoe-light | 2010-07-15 22:32 | ピタゴラスさん啓示録から