心の焦点を合わせる

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祈りと『我即神也』の真髄

 自分の人間たる現象の姿を見て、それを批判、非難し、評価を下す。そして、その人間の姿を再創造してゆく生き方。それをカルマの道と言う。
現象を見ても、それを消えてゆく姿と観る。現象を越えて、厳然として存在する神の姿を言葉にして、自分を賛美し、自分を尊敬してゆく。そして、その神の姿を顕現してゆく生き方。それを果因説の道、天命の道と言う。

 ①自分をカルマに道から解放し、②果因説の道を極め、③人類全体をもその方向に向かうよう駆り立ててゆく。それが祈りの働きである。祈りには、このように3種類の働き・エネルギーがある。
 この3種のエネルギーを詳しく見てみよう。
①自分を現象から分離させるエネルギーである。赦しのエネルギーである。
②自分を神の姿に重ねるエネルギー。愛のエネルギーである。
③自分の信念を人類に伝える人類愛のエネルギーである。自分自身を赦し、愛したように、人類をも同様に赦し、愛するのである。

 神人は歯を食いしばって、『消えてゆく姿』を行じることもある。しかし、それと平行して、自分を賛美し、尊敬してゆくのである。『厳然として存在する神の姿』に心の焦点を合わせてゆくのである。
 
祈りの本質は自己認識である。自己認識は自己創造である。人間は認識した通りの姿を、現象界に顕わしてゆく存在である。自己認識は必然的に人類全体をどのように認識するのかと言うことと同じである。
自己認識は現象界を基に自己を認識するのか、さもなくば、現象の変化には関わらない本心=神を基に自己を認識するのかである。
祈りの自己認識は後者である。

この厳然と存在する本心の姿を現象界に顕現することが祈りの目的である。
祈りは、本心サイドから言うと、言葉による自己宣言である。自己讃美である。現象界を創造するとき、本心は自己の顕わすべき要素を一つ一つ言葉にして、具体的に表現する。現象界を創造するとき、本心は自己の素晴らしさを一つ一つ言葉にして、自己を賛美する。この本心の仕事をすることが祈りである。
 
この本心と現象界の自己がつながるのは『私』と言う意識である。『私』がいかにカルマにまみれていたとしても、『私』は「我即神也」と宣言した瞬間、本心そのものなのである。本心が現実創造に使う言葉には、例えば「世界人類即平和也、我即愛也、我即光也、我即真理也、我即叡智也、我即健康也、我即繁栄也」がある。それは神語である。それを『私』が、あたかも本心そのものであるかのように宣言するのである。その瞬間、『私』は本心そのものなのである。その瞬間、本心の創造活動が始まっているのである。そのため、祈りは必ず成就する。
 何度も言うように、『私』については常識も科学も通用しない。ここで「瞬間」と言ったのは『即』と言うことである。『我即神也』とはこう言うことなのである。

 『私は愛深く、慈しみに溢れている。
  私はすべてを赦すことができる。わたしはすべてを創造することが  できる。
  私は神聖で純粋で欲がなく崇高である。
  私は高貴に光り輝き、偉大である。』

 今日も神語を自分に人に語りかけてゆくのである。

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神人は歯を食いしばって、『消えてゆく姿』を行じることもある。しかし、それと平行して、自分を賛美し、尊敬してゆくのである。『厳然として存在する神の姿』に心の焦点を合わせてゆくのである。

『厳然として存在する神の姿』に心の焦点が合わないでいると、消えてゆく姿のどっぷり浸かって流され・・・
「こ、こんなことではいかん!」と
歯を食いしばって想いを光の方へ我即神也へ修正していく・・・
 だから、神を基に自己を認識する習慣をつけておけば、毎度の消えてゆく姿にどっぷり流されなくてもいいわけで・・・ そして、
それだけではなく、今は果因説であって、
『私』が、あたかも本心そのものであるかのように宣言するのである。その瞬間、『私』は本心そのものなのである。その瞬間、本心の創造活動が始まっているのである。そのため、祈りは必ず成就する。

こ、心強い・・・。。。。 そう、今は果因説でした! 
消えてゆく姿を気にしすぎて、果因説のことを疎かにしてました。 いつの間にか過去にこだわってた、
しまったぁ、過去に余計なエネルギーを注いでいたよ~(もったいないことした~!)
本心の創造活動にエネルギーを注がねば・・・。

印を組むとき自分にこんな風に問いかけることがあります。
「私は何者なんだ?」  そして
「私は神である、人類も神である」 と思いながらやっています・・・☆
「我即神也 人類即神也」でもいいんだけど、 「私は・・・」の方が好きなので そうしております♪
自己認識は現象界を基に自己を認識するのか、さもなくば、現象の変化には関わらない本心=神を基に自己を認識するのかである。
祈りの自己認識は後者である。


自分を賛美し、尊敬してゆくのである。
今日も神語を自分に人に語りかけてゆくのである


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by mppoe-light | 2010-07-13 22:16 | ピタゴラスさん啓示録から