心についての問答・・・から


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「阿難よ、その答えも真実ではない。覚知する心と分別する心とは一つのものではない。
覚知する心とは本心であり、分別したり認識したりする心は因縁性の想念である。

直覚し、知覚するのは無死無生の心、空の底(てい)にある無限の心と等しき心、仏と一つの心であり、眼で見、耳で聞き、想いで分別し、認識しようとする心、善悪を判断しようとする心等々は、すべて仏の心、自然の心に相反する業因縁の想念の心である」




「申し訳ないのは、おまえの本心に対してである。おまえは常に如来と相対する時は、どういう心でいるのか?」

「如来に対します阿難は、勿論、本心の阿難でござります。業は如来に相対することは出来ません。」

「それでは、常に如来とともにいる心、如来と相対する心でいられれば、阿難は、本心そのままでいられるわけであるな?」

「左様かと存じます」

「では再びいうが、昨日迄の出来事は、すべておまえの無明のなせるわざ。
業の一つの集積が表面に愛欲行となって現われ、そして如来の光明によって消え去っていっただけである。
けっしておまえの本心が傷ついたわけでもなければ、おまえ自体が駄目であったというわけでもない。

おまえの本心は、依然汚れず痛まず、真玉の如く輝きわたっているのである。
おまえはその真理を知って、今日消え去った業を追いかけてはならぬ。再びその業を想い起こしてはならぬ。
想い起こせば、その想念がそのまま無明となり、またおまえの意識を曇らせてゆくであろう。もしそうした時には、強く如来を慕い、如来とともなる自己の本心に呼びかけねばならぬ。」

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「愛すること」から 小説阿難の中の一節


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ちょうどこの部分を読んだからでしょうか・・・
この頃、心に引っかかっていたジャマなモノが放れつつあります、 ほっ・・・
この気持ちを忘れないように、日記に載せることに☆


自分を赦し人を赦す、消えてゆく姿は深いなー というか、、、
ちゃんとやってるつもりなのに、いつの間にか業想念の中だけで消えてゆく姿をしようとしている。

う~まだまだ修練が足りんな~ぁ 
本心とすぐ向き合えるようにこれからも頑張らねば・・・。
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我即神也
私は光り輝くもの。
愛そのもの、叡智そのもの、真理そのもの! 
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by mppoe-light | 2010-07-06 22:19 | 真理について思ったこと