聖なる変貌の山・・・他

もともと宗教的なものが苦手なので、啓示録の中のイエスの言葉の部分は きちんと読んでいませんでした、だから、このブログにも載せてないはず・・・・・
昨日、
自分の認識がぶれてるような気がして、 またパラパラと目を通して読んでおりました。
で、この部分、面白いなーと思いまして、 載せることにしました☆


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聖なる変貌の山

『イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
すると見よ、モーセとエリアが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。』(注1)



『高い山に登る』とは『自己意識軸上の上昇』である。それは「次元上昇」であり、「認識の変換」のことである。「認識の変換」とは自己を肉体として見るのではなく、「真の眼力で神性の自己を観ること」である。

核融合にエネルギーの放出が伴うように、自己意識の上昇もエネルギーの放出を伴う。
先ず、自己意識軸の上昇は自分の姿を変えてしまう。イエスの姿が変わったように、自己意識の上昇はパラレルワールドの上昇をもたらす。我即神也を極めれば、我即神也の意識に相応しい言葉・想念・行為、肉体・仕事・働きの姿を地に顕わすことが可能になる。

次に、その白光に輝いた姿には天命がある。その白光のエネルギーを放射する天命とは人類に『我即神也』の真理に目覚めるよう促す天命である。
白光のエネルギーは遍く人類に響き渡り、人類一人一人に『今、既にある真の自己、神性』を思い出させるのである。

自分を正しく神と観る人は、自分の姿に白光に輝く神を顕わすことができる。
自分を正しく神と観る人は、白光を人類に放射する天命がある。
白光を人類に放射する人は、人類を正しく神と観ることができる。
白光を人類に放射する人は、人類に正しく自分を神と観るように促す。

この理由で、『個人人類同時成道』と説かれたのである。

神の光、白光、愛の光は肉体組織、肉体細胞に直接働きかけるものではない。
白光は自分=肉体という意識から自分=神という意識に上昇させるエネルギーである。
「肉体なる自分がエネルギーを神からもらう」という観念が強いと、真のエネルギーの流れを妨げてしまうのである。肉体は光の経路ではあるが、自分=本心は白光の発信機そのものである。

「人類即神也」の印を組もうとするや、あなたは既に、白光・光明波動を人類に放射する神なのである。
あなたは肉体ではなく、霊妙な神なのである、光を発する者なのである。肉体にまつわる因果は、その瞬間、完全に消滅しているのである。
あなたは宇宙神から放射された光の束である。その神なるあなたが肉体を操って白光を人類に放射しているのである。
その白光のエネルギーは無限である、無限なる平和、無限なる繁栄、無限なる健康、、、を人類にもたらしてくれる聖なる力である。 素晴らしき哉。今日も「人類即神也」の印を組む神人。

2008/10/30
注1 マタイ伝17 ― 1,2,3

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こっちも心構えのためにいいな☆

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我即神也・人類即神也の印

印は、真の印であろうとなかろうと、直霊神(真我)が組むもの。
印は、「因縁因果の時間軸上にある今」の自分の波動調整や、自分の改善のための印ではない。印は、因縁因果の時間軸上の印ではない。印はゼロ次元の『今』の印である。ゼロ次元の『今』とは真我であり、印は真我の印である。印は永遠なる者の印である。

印を組むときは、『我即肉体也』という無意識を意識して否定する。
宇宙神から分かれたままの直霊神の自分、『我即神也』を強く宣言する。
真我は自己を宇宙神から分かれたままの直霊神と観ている。
意識を変える者は現象を変える。真我の印は現象世界を変えてしまう。
真我に相応しい言葉・想念・行為、肉体に変えてしまう。

印は『空即是色』の印(しるし)である。
印は『世の光り』である。印は神の光り、白光の放射である。
印を組む『私』は世の光りである。
「我即神也」を識る者は「人類即神也」を観る。
神の光は「人類即神也」の信念である。「人類即神也」の信念、神の光りは人類に伝わり、「我即神也」を思い出させる。
印は因縁因果の印ではない。肉体人間が神に進化する印ではない。
印は果因説の印である。神が肉体身に顕れる印である。
印を組む者が、現象界で誰であろうと、いかに不完全であろうと問題にならない。
印を組み始めるや否や、印を組む者は神である。神が肉体身を使って印を組むのである。
印は真理の顕現であり、癒しであり、神の慶びである。
印は癒しであり、赦しの印である。
印には神の審判はなく、神の祝福のみがある。
2008/11/02

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by mppoe-light | 2010-06-18 21:33 | ピタゴラスさん啓示録から