無限なる時間と消えてゆく時間

輝かしき時間の流れの中に一瞬、暗黒の時間が交差することによって過去の因縁は消えてゆく。横軸の時間が縦軸の時間に交差しようとも、それらは必ず消え去るのであるから、決してそのものを掴んではならない。  白光誌96年

すごい♪ こんな内容の法話があったなんて!
これをピタゴラスさんが、神性の視点から解説し、
神性の視点から人生をとらえることの重要性を書かれてたので転載しました☆

(●^o^●)ほくほく♪
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無限なる時間と消えてゆく時間

 『無限なる時間と消えてゆく時間』(白光誌1996-1)という法話がある。
この表題の意味は次のようになる。

 時間には垂直的な縦軸の時間と水平的な横軸の時間がある。縦は輝かしい無限なる時間であり、永遠にして、天と地を貫き通している真理そのもの、法則そのものである。人間は一生を通じて輝かしき時間によって満たされ、貫かれているのだという真理を知らなければならない。

 横は現象界の人、場所、時間、物、出来事から成るもので、一時的なもの、瞬間的なものであって、決して永遠なるものではない。
 輝かしき時間の流れの中に一瞬、暗黒の時間が交差することによって過去の因縁は消えてゆく。横軸の時間が縦軸の時間に交差しようとも、それらは必ず消え去るのであるから、決してそのものを掴んではならない。
 一瞬の時が過ぎ去れば、また再び縦軸の無限なる輝かしき時間が流れてゆく。人間の一生を貫いている時間は無限なる輝かしきものであるということを、心の中にぜひ刻みつけておかなければならない。

 
この文章は次のように言い換えることができる。
すべての人の人生の生地は我即神也の人生である。そこに、過去の因縁性の消えてゆく姿として、一時的に凡夫の姿が、人・場所・時間・物・出来事を通じて現われてくる。それは、「あくまで一時的なもの」であって、『人生とは輝かしきもの。人生とは無限なる幸せ。人生とは自分の思う通りに築き上げてゆくもの。人生とは永遠なるもの』(注1)である。

 西園寺会長の力強い光明思想のひびきが伝わってくる。しかし、大方の人は、横軸の人生が自分の人生であると信じ込んでいる。縦軸の人生は「あくまで彼岸」に見えるのである。多くの人にとっては、一時的な因縁因果の人生が続いているように見える。
 何故、そんなギャップが生じるのか。どうすればそのギャップを越えることができるのか。我々が心すべき問題はどこにあるのか。

横軸の現象界は三次元世界なのである。縦軸の実在界・神界は四次元世界なのである。三次元世界に別の次元を足せば四次元になるのではないことは重要である。三次元世界と四次元世界の交差するところは何か?自己意識としての『私』である。
『私』がどちらを向いているのか。『私』がどちらの姿を自分として認識しているのか。『私』がどちらの姿を自分として同一化しているのか。そこが問題なのである。そこが、光明思想家である西園寺会長と一般的人との違いである。

 一般の人の『私』は現象界と言う時間の流れの中で、親から生まれ、ままならぬ人生を過ごし、土に帰る自我のことを自分であると夢見ているのである。光明思想家の『私』は永遠の時間の中で、宇宙神から生まれ、自由自在な人生を完うし、神の生命として生きつづける神我のことを自分であると知っているのである。
 では、どうすればよいのか。いつものことながら、消えてゆく姿で世界平和の祈り。印と呼吸法と神語の言霊である。
『私は神だから、人生とは輝かしきもの。人生とは無限なる幸せ。人生とは自分の思う通りに築き上げてゆくもの。人生とは永遠なるものである』。この神語を唱えつづければいいのである。

 なるほど、「こういう人生であればいいな」と想う人は多い。しかし、「こうだ」と口にする人は少ない。「我即神也、我即愛也、我即真理也、我即光也、我即道也、我即生命也、、、」であるならば、「私の人生とは輝かしきもの。私の人生とは幸せそのもの。私の人生とは喜びに満ち溢れている」となる。神界の人と同じように、『私は欠けたるものなし、すべてが幸せ。私の目的は人類が平和で幸せになり、生きとし生けるものすべてと人類が大調和して、素晴らしい世界を築き上げていくことのみ』(注2)と口に出しつづけることが肝要である。
 
彼岸を彼岸として意識している内は、その彼岸は達成されない。チャクラが開いた人が、成就の姿を神語として語るとき、それは現実化し始める。
注1  1996-1
注2  2010-5 P.52 4月4日の法話



『私』がどちらを向いているのか。『私』がどちらの姿を自分として認識しているのか。『私』がどちらの姿を自分として同一化しているのか。そこが問題なのである。そこが、光明思想家である西園寺会長と一般的人との違いである。

今月の法話にもありました。
「過去の自分か? 神の自分か?」

私などは、実際に表現しているかは横に置いといて、心の中で自分は「神」、またはそのつながりを受け入れています。我即神也と言葉にすると、心が軽くなり幸せです。

日常生活では、頻繁に横の自分になります。横の自分の方が多い?(無限なる光!)
横の自分の中にすっかり入り込んで、否定的な感情に流されて凹みます。
そして、祈ったり印を組んでは 自分を取り戻しています。
それでも私は、我即神也 です。 まずはそれを受け入れることが大切と思うから。

ただ・・・最近、大反省しているのは・・・
語る自分を意識していない・・・ところです。
語る自分を我即神也と意識していないのです。 ちゃんと意識できれば、もっと立派になれるのに・・・・、否定的な感情に呑み込まれないのに・・・と思う。

「我即神也 我即愛也、我即真理也、我即光也 」
 と、繰り返すように、

「語る自分を意識する、語る自分を意識する、語る自分を意識する・・・」、
これも繰り返し言い聞かせて忘れないようにしたい・・・ うー。。。
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by mppoe-light | 2010-05-31 21:34 | ピタゴラスさん啓示録から