あるのは自分と神との関係で。。。

神性は認められることによって、顕われる。
 神性を認めることが先か、想念・行為に顕わすことが先か。この問いは、意識が先か、現象が先かの問いである。三次元に閉じ込められた、因果説では想念・行為、物質界の現象が先なのである。しかし、絶対的に意識を先にしないと、神性を顕わすことはできない。そればかりか、意識を先にしないならば、自己否定、自己不信、自己批判の輪廻から抜け出せない。
  四次元果因説とは、『自己の神性を認める』ことに全力を尽くし、
現象と言う結果については全託する道である。


今後の世界に今までとは全く異なる違いを創り出すのは、何か。
それは、深い確信を伴った『我即神也・人類即神也』である。

我即神也
我即光也
我即愛也
我即真理也
 意識がこの言霊に浸っている限り、そこにはいかなる災いも入り込むことはできない。
波長が合わない。波長が合うのは歓喜、喜び、幸せ、平和、生命だけである。

<ピタゴラスさん日記より>

「深い確信を持って自己の神性を認め、結果は全託する
意識が 我即・・・・という言霊に浸る」

その時、意識は開いているんだ・・・言霊に浸るという表現はいいな♪♪
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どんな生き方も、自分の世界が(意識が)閉じているのか、開かれた自由なスペース状態か、そのどちらか。
自分が発したエネルギーが自分に戻るという法則において、すべての人は平等で、そしてみんなに世界を創造する力が備わっています。
本来、言葉は会話をするためにあったのではなくて。
自分に向かって語ることで世界を創造するために使われていたのだから、

“我即神也、我即愛也、我即真理也、我即光也・・・” 
忘れていた神性を思い出すために、自分に向かって語ります。
もう一度 自分を初めから創造するつもりにでもなれば 面白い☆

自分の過去、現在について、自分以外の誰かに申し開きをする必要などないし、 
あるのは自分と神との関係だけ。「私」と神のことだけ。
遠慮はいらない。
“我即神也、我即愛也、我即真理也、我即光也・・・” 
堂々と悠々と自分に語っていけばいい。

・・・・と、思っています。
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by mppoe-light | 2010-04-16 21:41 | 真理について思ったこと