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認識の旅

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認識の旅

『人類一人一人に与えられている使命は、自分の内なる神そのものを探求し、認識することのみである。』白光誌2001-8 P.8

 『人類すべての人々を人類即神也と受け止めることが出来た時、もはや自分の過去の一切の因縁は消滅したのである。』2001-8 P.20
 
 『決して観念論であってはならない』(注1)のだが、先ず初めになすべきことは『自分の内なる神そのものを認識する』ことであり、人類を『人類即神也と受け止める』ことである。
 「観念論ではない」と言うことは、真理には神性顕現が伴うと言うことである。
しかし、ここで重要なことは「我即神也」の場合、「自分の神性を認める」→「神の姿」を顕わすと言う順序である。「人類即神也」の場合では、「人類の神性を認める」→「自分の因果律の消滅」→「我・人類の神性顕現」と言う順序になる。

 「我即神也」「人類即神也」。この真理はもともと奥が深い。この真理を疑い、否定する習慣が染み付いているからだ。しかし、それ以上に強烈に我々の存在そのものが神の光によって貫かれている。この真理を倦まず弛まず認めつづけるしかない。そのためにも、神語を駆使して、「我即神也・人類即神也」を様々な角度から、語りつづけてゆくのである。

 人間の習慣として、「神の姿の顕現」→「我即神也」という順序でないと納得できない。「神の姿ではない」→「我即人間也」という習慣の想いが根強いのである。「神の姿でない凡夫の姿」は何年継続しようが、すべては「過去」である。それについて、神々は「消えてゆく姿」として赦しに赦されているのである。

「我即神也」と言うならば、それを顕わしてからにしなさい。西園寺会長はそんなことは一言も言われていない。
「我即神也を思い出す」のですよ。「我即神也に目覚める」のですよ。「我即神也を認める」のですよ。
「自らの内に厳然として存在する神そのものを認める」ことによって、「内なる神性を引き出すのですよ」。
自分の内に存在する「我即神也」を知ることによって、「神の姿を顕現させてゆくのですよ」と会長は繰り返しておられる。「自らが自らを神と認めた瞬間、神と成る」(注2)のである。

「我即神也」と「人類即神也」は、人間社会において人間が社長に成るとか、議員・大臣に成るとか、競技の代表選手に成るのと全く意味が違うのである。それらは因縁因果の世界の話であり、条件が整って成就する世界の話である。三次元世界の話にすぎない。それと違って、「我即神也」「人類即神也」は変化しない事実であり、真理そのものである。無条件に成就している真理そのものである。果因説の真理であり、四次元の真理である。
 「我即神也・人類即神也」は認識の問題、意識の問題である。日常繰り返される想念行為とは全く関係なく、現われている姿とは全く関係なく「我即神也・人類即神也」を「力強く確信をもって宣言を下す時、その瞬間こそが至福であり、歓喜であり、復活である」(注3)。
 この深い認識の旅には言霊(神語)、印、呼吸法という大いなる神器が用意されていた。それに加えて、四次元、そしてチャクラが開かれたのである。開かれたチャクラを使いこなす方法として新たな神語が示された(注4)。
我即神也
我即光也
我即愛也
我即真理也
 意識がこの言霊に浸っている限り、そこにはいかなる災いも入り込むことはできない。波長が合わない。波長が合うのは歓喜、喜び、幸せ、平和、生命だけである。この秘法、使わないと損。使わないと、開いたチャクラも閉じてしまう。大いに活用してまいりましょう。

注1 白光誌2001-8
注2 この節の「  」は白光誌1999-1より引用。
注3 白光誌2004-1  
注4 2010/04/04 富士聖地の法話より
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<ピタゴラスさん>

印刷して次の祈りの会に持って行くつもりです。みんなに読んでもらいたい!
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『人類すべての人々を人類即神也と受け止めることが出来た時、もはや自分の過去の一切の因縁は消滅したのである。』2001-8 P.20

「今が一番、今を解決すれば、過去が解決できる」 と松尾みどりさんも話しておられたけど、今、自分が我即神也であると意識することが、すべてを解決していく・・・。


一日24時間、睡眠時間を除いた時間に、自分がどれだけ我即神也を選んでいるだろうか・・・とこのごろ思います。
祈り、印、呼吸法の時は、自分を神として意識するものの、その以外の日常生活の中で、どれだけ自分が神であると意識しているか・・・
惰性で生きると、意識は簡単に「神ではない自分」に流れてしまい、。
 低い意識が不安な思考を生み、その不安を少しでも解消するための行動をとっています。

だら~と無意識に生活してると、気がついたら、不安、不幸を前提とした行動をやっている。
神であるなら、幸せ、豊かさ、喜びを前提とした行動をしたいんだけど・・・

うーん。。。・・・もうこれ以上考えるのやめよ(笑)。無限なる進歩!

「我即神也」「人類即神也」。この真理はもともと奥が深い。この真理を疑い、否定する習慣が染み付いているからだ。しかし、それ以上に強烈に我々の存在そのものが神の光によって貫かれている。この真理を倦まず弛まず認めつづけるしかない。そのためにも、神語を駆使して、「我即神也・人類即神也」を様々な角度から、語りつづけてゆくのである。

真理を倦まず弛まず認めつづける。
そのためにも、神語を駆使して、
「我即神也・人類即神也」を様々な角度から、語りつづけてゆく。

今はこれを実践していくのが一番いい!
我即神也 人類即神也
認識の旅_c0074000_233187.jpg

by mppoe-light | 2010-04-09 23:39 | ピタゴラスさん啓示録から