”人類の原点”

今回の啓示、感動でした☆☆☆ 読んでいるうちに嬉しくなりました。そしてほっとしました。
求めていた言葉が出ていたからだと思います。
感想はまた後日にしまして・・・、

今までの啓示録に比べて読みやすくて、分かり易いと思います。
どうぞ、ゆっくりとお読みください。
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人類の原点(注1)

「至高の仏陀」と自ら称され、神々から称される方がこのような説法をなされました。
 我はかくの如く聞きました。


 あなたがたに課せられた使命は、神の姿をこの現象界に顕現することだ。
誰も神になりなさいとは言っていない。現象界で人間が神になろうとしても、出来る人は上根の人だけだ。
あなたがたは、そもそも初めから神そのものであった。初めから完璧であったと言っているのだ。その原点の事実を思い出すのだ。神を現わした後で、「自分は神である」と思うのではない。順序はその逆だ。神になろうとする前に、「自分が神である」と思うことが重要なのだ。

自己意識が自分は神でないとか、神になるとか、神であると思うのだ。あなたがたは、今まで自己に内なる神性を視てこなかった。自分の現象面のみを視てきたのだ。
自分をよく知るとは、現象面はさておき、自己自身の神性を視ると言うことだ。諸行無常の現象に先立つ、久遠・不変の原点である「我即神也」に戻るのだ。

今日まで、自己意識は現象界の枠内に閉じ込められてきた。
そして、自分の不完全性のみを視て、自他を批判しつづけて来た。
イチローは稀有のバッターだ。あなたは、イチローが三振したところを見たからと言って、イチローのことを弱いバッターとは言わないだろう。
五井先生は真理を語る人だ。あなたは、五井先生が鼻をかんだのを見たからと言って、五井先生のことを鼻をかむ人とは言わないだろう。
あなたは神そのものだ。しかしながら、あなたは自分の数十年の人生、または過去世を入れても数万年の人生だけを見て、自分のことを神ではないと言っている。これが無知と言うことだ。

 自我は、「現象をよく視なさい。そこに、あなたの真実の姿がある」と言いつづけてきた。守護の神霊は、「本心をよく視なさい。そこに、あなたの真実の姿がある」と言いつづけてきた。
自分の真実の姿を見る自己意識の鍛錬。そこに宗教の本質がある。
自己意識が「我即神也」に定まれば、現象世界は神の姿となる。

 自己意識を変えずに、現象世界を変えようとするならば、その現世利益は満たされない。
 精神性を求めるあまり、現象世界の向上を放棄するならば、それは現実逃避だ。
 現象世界の向上を通して、神に近づくならば、その自力行は挫折する。

 私が教えてきたことは、印・神語(言霊)・呼吸法・マンダラだ。果因説の教えだ。
自己意識を「我即神也」に定めることによって、神を顕現することだ。
根源の世界に戻りなさい。思い出しなさい。原点に帰ることだ。
原点は「我即神也」であり、「人類即神也」である。原点は無色透明な「空」ではない。単なるプラスマイナス0ではない。宇宙の原点は宇宙神の大調和的展開そのものである。原点は宇宙の始まりであり、『今』であり、久遠である。原点は無限なる神性そのものである。原点は人類一人一人の内なる神の国である。原点から離れようとする者は、回帰せねばならず。誰も原点から離れつづけることはできない。原点から離れた想いを出したとした人も、消えてゆく姿を通して、原点に戻ってゆく。
 
『因果律』も『消えてゆく姿』も人類が原点に回帰するため作用のことである。
宇宙は常に、すべてが原点に帰るように動いている。何かが原点から外れると、宇宙はそれを「御破算(そろばん用語)」にしようとする。
人を叩いた者がいたとしよう。その人が叩き返されるのが法則ではない!
その人が叩き返されることによって、軌道を修正しながら神に戻ってゆく作用が因果律なのである。報復そのものが因果律の目的ではない。だから、果因説を駆使すれば、因果律の修正に先んじて神に戻ることが出来るのだ。当人が神に戻れば、因果律による修正作用はない。
 
自己意識が自我そのものであるとき、攻撃に次ぐ攻撃こそが最大の防御のように見える。自己意識が自我の座に近いとき、宇宙のシステムは「目には目を、歯には歯を」という因果応報のように見える。
自己意識が神性に近くなると、宇宙のシステムは「消えてゆく姿」を通して「神の姿」を顕わす場に見える。自己意識が「我即神也」に定着するとき、宇宙は「神の姿」を自由自在に顕現する場となる。
自己意識と宇宙をつないでいるフィードバックシステム(ある目的の為に何かを創り出したとき、創られたものの情報が創り主に戻ってきて、創り主は自分の創りだすものを調整し直すシステム)がある。
自己意識は原点である「我即神也」から始まった。本来、神なる自己意識は神の姿を創造しつづける仕組みになっている。自己意識が原点から外れる場合、自己意識が創造した姿や物の情報が、自分自身に戻って来て、自己意識を原点に戻すよう働きかける作用がある。人類は、このフィードバックシステムのことを因果律と言ってきた。
 
三次元世界では、自己意識が自分で創り出した姿や物の中に閉じ込められてしまったのである。四次元世界になって、自己意識が自由自在に「我即神也」にワープできるルートが開かれたのである。「我即神也」は人類の天命である。そして、それは最終ゴール(注2) である。同時に、最終ゴールはスタート地点であった。原点であった。そこは、神聖で純粋な本心、汚れなく崇高な本心の場なのである。
 

注1
『人類の原点でもある“我即神也”の究極の真理』白光1997-9 P.16
『人類が初めは神そのものであった原点にまで遡る』1998-6 P.18
『人類の原点でもある“我即神也”を思い出すことによって、人類はよみがえってゆきます。』1999-1 P.10
注2 白光1996-8 P.19

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ピタゴラスさん啓示録
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by mppoe-light | 2010-03-25 21:31 | ピタゴラスさん啓示録から