心に響く”感動” って・・・

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無明、迷いとは「自分が誰であるか、何者であるかを忘れていること」である。
自分の遺産と血統を忘れたことである。
正しい自己意識の忘却である。


自分の神性を認めない者は、神性の無い世界を体験する。
自分の神性を認める者は、神性の世界を顕現し、体験する。
これは観察者効果である。

自分の神性を認める者は、人類の神性を認める。
我即神也を知る者は、人類即神也を知る。
人類即神也を知る者は、人類に自らの神性に目覚め、神性を顕わすよう促す。
我即神也を知る者は、自分を尊ぶ。
自分を尊ぶ者は、人類を尊ぶ。
そして、人類に自らを尊ぶよう促す。

今日も、我々は自分が誰であるか、何者であるかを明確に宣言する。
そして、因縁因果の自分とは決別する。
我々は自分で宣言したとおりの自分を顕わして行く。
神事と印がある限り、「我即神也」の探求は単なる観念論ではすまない。

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啓示録から

昨日、短い時間だったけど Kさんと啓示録について話しました。

まずは 「解りやすくて良かった」 。 でも

自己意識軸には無限の段階があるし、(いろんな自分があるわけで・・・・)
自己意識を上昇させるには、感動がないと上昇できない・・・
といった内容だったかな。。。

つまり彼が言うには、
心の中で、「あっそうか・・・!」といった、“ひらめき”のような感動がないと心が納得していかないので、次元上昇は啓示録を読むだけでは難しい・・・ということでしょうか。

まぁ、それはそうなかもですが、、、私は聞いていて、 「?????」でした。

今は果因説で我即神也。 
だからまず我即神也から始める。 印を組み神語を語る。 
それによって自分が調ってくる(我即神也に)。


今日も、我々は自分が誰であるか、何者であるかを明確に宣言する。
そして、因縁因果の自分とは決別する。
我々は自分で宣言したとおりの自分を顕わして行く。
神事と印がある限り、「我即神也」の探求は単なる観念論ではすまない。


心に響く”ひらめき”の感動は、自分から体験していかなきゃ、と思う。
ぼんやりしてると、せっかくのチャンスを逃してしまう。
何のために取り組むのかを意識して神事と印を続けていれば、感動はやってくると思う。
 思うだけじゃなく、がんばろ。

Kさんとの話はまだ途中で終わって最後まで聞いてはないけど・・・
やっぱり話かみ合わないなー(笑)
私は私のやり方を信じてやるのみです。

我即神也 
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by mppoe-light | 2010-03-23 23:11 | ピタゴラスさん啓示録から