ゼロ次元の「今」

ゼロ次元の「今」

すでに過ぎ去ってしまった過去のあらゆる出来事や現象そのものは、自分が
今日まで生きてきた時間軸に存在する妄想と幻覚であると思えばよい。
(真実ではあるが)。
 とすると、そういった過去の種々さまざまなる妄想や幻覚を、
現在の「今」の瞬間に、自分が改めて思い出し、掴み取らない限り ー つまり、それらを現在の「今」という瞬間に、自分が引っ張り込まない限りは、何も生じないのである、いや、現れるはずがないのである。

限りなく「今」という瞬間を、果因説(素晴らしく輝かしい自分の未来を創造してゆく想像力)に基づく生き方に徹すれば、未来における不安も恐怖も皆無なのである。

宇宙子科学においては、「今」という存在のみが唯一肯定されているのである。「今」という瞬間は点であり、
ゼロ次元なのである。ゼロ次元はすべての始まりであり終わりであり、原因であり結果であり、形があってない存在なのである。
2008 4月昌美先生の法話

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ゼロ次元はすべての始まりであり終わりであり、原因であり結果であり、形があってない存在なのである。

これだけでは、何のことなのか分からないのですが、次の啓示録を読み直してみて
思わず、「ああ、そーかぁ・・・」と、納得(それなりに・・・)した私。
啓示録の深さに、またビックリ☆。


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ゼロ次元と自己意識

神の光明波動は人の意識に働きかける。
神の光明波動は肉体に直接働きかけることはない。

神の光明波動は果因説の波に働きかける。
神の光明波動は因縁因果の波に働きかけることはない。
神の光明波動は「今」というゼロ次元で働く。(注1)
神の光明波動は時間軸で働くことはない。



「意識に働きかける」とは「想像力」を刺激することである。『素晴らしく輝かしい自分の未来を創造してゆく想像力』とは果因説のことである(注2)。
果因説の想像力とは、自分のことを、過去の神らしからぬ姿にもかかわらず、つまり、『不完全な自分はさておき』、霊妙なる神そのものであると観ることである(注3)。

「今」というゼロ次元とは「I AM.」(我在り。『私』、真我)のことである。
『私』は『すべてが発生する始点であり、すべてを吸収する終点である。
『私』は、すべての『原因であり結果である』とも言われ、『形がなく形を生み出す型』でもある(注1)。
すべての現象は『私』を原因として、『私』の定義に相応しい結果を生み出し、『私』の姿を鏡のように映し出す。いかなる現象も、『私』の定義を変えることによって、『私』に吸収され消滅してしまう。

三次元空間の時空という座標の一部を占める肉体に意識が付随しているのではない。『私』という意識が時空を投影しているのである。


21世紀、「今」というゼロ次元で、『私』は過去の神らしからぬ姿から明確に、かつ厳格に切り離される。
『私』が認めるのは『我即神也』そのものである。それのみである。『我即神也』ならば、同時に『人類即神也』である。
21世紀、瞬々、「今」というゼロ次元で、神人の『私』は『我即神也』のみを宣言する。神人の『私』は肉体を通して、神そのものを顕現してゆく。
神人たちの時代の始まり。
2008/10/31

注1 ゼロ次元の「今」白光誌2008・4
注2 白光誌2008・4
注3 「にもかかわらず祈る」白光誌2008・6
西園寺由佳会長代理

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ピタゴラスさん啓示録



私は(私たちは)自由自在に世界を創造する力を与えられています。
イメージ、言葉によって創造します。

「私」が創造している、私の世界。私がなければ私の世界は存在しない。
これから、私は自分の世界に何を画こうか・・・・光明の無限なる愛、平和、調和・・・は、
当然のことだけど、その無限なる愛で何を画きたいのだろう?・・
私は本当は何を求めてるんだろ??? んー・・・・(;一_一)
それが分からないのは、
まだ 本当の無限なる愛も平和も調和も喜びも体験していないから?
ではそれは、これからやってくる4次元世界で体験するのだろうか???

今はまず、自分の世界に住んでいる相手に、“あなたは幸せで平和で暖かい人”・・・という気持ちで
対する相手に語ってみようかなぁ・・(今年の課題のことです。)
  
私が神なら、あなたも神、交わす言葉は神様語。 なんちゃってー。


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「なかよし!、わーい♪」
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by mppoe-light | 2010-02-24 00:14 | ピタゴラスさん啓示録から