因果律の終焉・・・・

先日の祈りの会の時のことです。

Kさん  「○○さん(ピーさんのこと)の啓示録の続きがある?」
私  「ありますよ。 なんで?急に」

Kさん  「昌美先生が因縁因果はもうない と言われた意味がよく分からないんで、」
私   「もう過去はないからでしょ~」 
(と、ものすごーく適当で、いい加減な返事をしながら せっせと帰る準備・・・)

Kさん 「いやそういう意味じゃなくて・・・」
私   「うん、じゃあ次の会の時に、(ぴーさんの)ワードのファイルを持ってきます」


と言うわけで、さっそくピタゴラスさんのワードファイルを読み直してみました。

Kさんに、「過去はないから~」 なんていったものの、
私も因縁因果の法則が今後どうなるのか分かりません。 
そもそもKさんみたいに深く考えてないし・・・。(^_^;)
 
前回の日記(真の眼力)にあと 果因説の浄め の予定にしてたけど、
それよりもこちらを先に載せた方がいいかな。

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因果律時代の終焉
 因果律の時代は終焉を迎えた。そして、果因説の時代に入った。この事実を意識するか否かによって、明日からの自分の体験する世界に違いが出てくる。
 因果律の時代の終焉。それはベルリンの壁が崩壊したようなものである。ベルリンの壁の崩壊を知らずに1990年代を生きる人のように、今後において果因説を知らずに生きてゆくことは無謀でもある。

 あなたが第一になすべきことは「言葉・想念・行為を正す」ことではない。
第一義的なことは、あなた自身の意識に関すること、つまり、自己意識、自己定義、自己イメージを正すと言うことである。正しい「言葉・想念・行為」の世界は「我即神也」と言う自己意識より自然法爾に吹き出してくる。

 「言葉・想念・行為を正す」こと自体が、真理ではない。そんなことは人間を小我の中に閉じ込めるために、小我が創り上げた律法に過ぎない。それは小我の延命装置でもある。
 どんな「言葉・想念・行為」もあなた独自のものではない。すべて人類に共通する錯覚より生じた、人類共通のものである。何があろうと、同じ失敗を何度も繰り返そうと、あなたは自分を「いたらない」と評価してはならない。反省は必要であっても、自責の念・罪意識は不要である。

 「言葉・想念・行為を高め上げる」以前に、自己意識(自己定義、自己評価)を高め上げるのが果因説の奥義である。『自分を磨き高め上げる』、これは現れの自分を磨き高め上げることではない。意識の中で自己評価を高め上げることである。
 常識的に自分に責めるべきところがあるにせよ、心を翻してみる。ゼロ次元に飛び込んでみる。つまり、神の子として祝福された自分自身に意識を向けてみる。
イエス・キリストより、「あなたがたは幸いである。天国はあなたのものである。あなたがたは世の光りである。」と祝福されている自分を思い出してみる。その素晴らしい自分を印によって表現してみる。あなたには、「今」と言う瞬間、ゼロ次元に飛び込むという選択肢がある。つまり、あなたは「我即神也・人類即神也」に意識を集中することができる。印を組むことができる。
そこに神の喜びがある。
 「言葉・想念・行為を正すこと」が宗教の根本とするならば、人は宗教から抜け出せない。その試みは成就しないからだ。自己意識を正すことは、四次元世界に上昇すること。そこに宗教の根本がある。そこではすべてが成就する。

2008/11/17


  
ルーツ
 あなたのルーツは何なのか。
あなたはどこから来たのか。
 この根本的な問いについて、因果説と果因説との違いを比較する。

因果説では過去から現在に至る時間の延長線が重要になる。
時間の流れにある現象世界の推移が問われる。
その中で人は、過去にある罪悪感が人目に曝されぬよう隠蔽工作を繰り返す。
そのかたわら、人は過去にあった栄光を探し出し、自分を大きく見せるものを高く掲げる。
それが人目につかないようであれば、我慢がならない。満足感にいたることなく、「高級」と言われるものを所有し、自己意識のドレスアップに余念がない。ついには、自分より見劣りする者を蔑み、自分を認めない者がいたなら先制攻撃をしかける。
人は自分のさえないルーツに取り付かれている。「取り付かれている」と言ったが、正確には自分でそれにしがみ付いているにすぎない。その「しがみ付く」強さは、豊かさ、健康、調和を「求めても、満たされない」状況に自分を繋ぎとめる強さと全く同じである。
因果説の根源にあるのは自己定義の間違いなのである。その間違いから生じた恐怖感が根底にある。

 『消えてゆく姿』の真理は、この因果説の世界に住みながらも、一つ一つの状況において、『それは私のルーツとは関係ない。その現象化したものは消えてゆくプロセスを果たした。私のルーツは実は神なのだ。』と確認してゆく教えである。

 果因説では、自分は過去からの延長線上にはない。
あなたは、『今』つまり、いつでもどこでも、宇宙神から来たことに目覚めればいい。
あなたは過去から来たものではない。
過去が何であろうが、現況がどうであろうが、あなたのルーツは宇宙神である。
あなたは、今でも、宇宙神から分かれたままの姿を保持しており、完全な存在である。
あなたは宇宙神に祝福された神である。
あなたの肉体は完璧であり、心は聖く、澄み切っている。あなたはいつも豊かさを感じ、豊かさを顕わすことができる。あなたは光り輝く存在である。
あなたはあらゆる神性を自由自在に使いこなすことができる。あなたに不可能はない。神なるあなたに修復できないことはなく、癒せないものもない。あなたの意図はすべて成就する。あなたは、人類に真理を導く「世の光り」である。

 
因果説は横の世界。あなたはそこに自分のルーツを見出すのであろうか。
果因説は縦の世界。四次元世界だ。あなたはそこに自分のルーツを見出すのであろうか。
あなたは、いつも、この選択をする立場にある。あなたは自由に選択することができる。あなたは神としての創造者であるから。あなたは量子力学で言う観察者であるから。
観察者は自分をどのように観察(体験)するのだろうか。観察者は自分を自分で定義したように観察することになる。自らを神ならざる者と信じるならば、神ならざる自分を体験する。自らを神であると定める者のみが、神なる自分を体験する。つまり、神を顕現する者となる。
2008/11/26 

ピタゴラスさん啓示録から

この後、量子論を用いた解説が(私的に)良かったので、(量子論に興味のない方には申し訳ないのですが・・・、) つづきます☆☆☆(●^o^●)
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by mppoe-light | 2010-02-11 22:46 | ピタゴラスさん啓示録から