二つの世界・二つのシステム


自己意識とパラレルワールド

『自分が神であり、人類が神であり、世界人類が平和である』と
いう世界( 神界) は在る。この世界を見て、体験し、この世界を肉
体界に降ろすことが出来るのは『我即神也』を宣言する『(神・真)
我』である。
自己意識軸上には様々なパラレルワールドが平行して存在する。
この肉体界は様々なパラレルワールドが混成してできた世界である。

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同じものを観ても、意識の高さで受け取るものが違います。
自己意識の高さによって違う体験をすることになり、その体験での想いが、また次の体験のもとになります。
皆それぞれ自分の意識の高さに応じた世界を体験している。
目の前の空間には、業想念の低いレベルの世界から霊界、神界まで、常に同時に存在している。つなげているのは自己意識軸。  だから天国は場所ではなく、境地ってこと。
今の現実がイヤだと言ってその場から逃げ出しても、自分の意識次元が高くならなければ、何処へ逃げても同じ。自分の意識に合わせた世界が続くだけ。

世界(宇宙)は、多次元の世界が同時に平行して存在していて、
宇宙の法則の通り活動している・・・不思議な世界だ。。。。

二つのシステム

『如来に対します阿難は、本心の阿難でござります。
業(カルマ)は如来に相対することは出来ません。』(注1)


神の創造による神界と、迷える想念がプロジェクターを通して投影した諸世界の二通りがある。
この二つの世界にはそれぞれの思考システムがある。
この二つの世界と思考システムには格段の違いがある。
この二つは現実と夢、光と闇のように両立しない。光あれば闇はなく、闇の中に光はない。
諸世界は時空の中に現われた無常なるもの。
神の世界は時空を超えた不変なるもの。
「自分と思しきものを自分と錯覚している自分が見る世界」と「神を真の自分と認識する自分が見る世界」である。
同じ自分でも自己意識のレベルによって体験する世界は全く別世界である。
しかし、二元対立ではない。
究極的には神の世界しかない。神の思考システムしかない。究極は一元論なのである。

しかし、いきなり肉体人間には二元対立を超えられない。
二元対立を超え、二つのシステムを繋ぐために、守護の神霊が存在し、祈り・印がある。再度、「しかし」と言わなければならない。
今日、この守護の神霊への感謝・祈り・印を行ずるに当たって、因果説ではなく果因説の思考回路が求められている。果因説は一元論的な思考回路なのである。

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本心と業想念、光の世界と闇の世界、二つの世界があるようだけど実は、闇の世界(業想念)は消えてゆく姿、時空の中に現れた無常なるもの。
だから本当に“在る”と言えるのは、本心・光の世界だけ。
そもそも、闇の世界も神さまの創造エネルギーを間違った使い方をした世界なのだから、
闇の世界は神の愛の最も少ない現れの世界。だからもともと一元論、と思ってます。

『如来に対します阿難は、本心の阿難でござります。
業(カルマ)は如来に相対することは出来ません。』(注1)

初めて 小説「阿難」を読んだ時、この言葉に戸惑ったのを思い出します。
意味がちっとも分からなかった。。。
あれから14年・・・今やっと分かるようになってきました。 ほっ。


四次元・果因説・自己意識

富士聖地が四次元になり、「果因説のみを発する場」になると言われている。
ここでポイントになるのが自己意識である。
神の世界と肉体界を繋ぐ唯一の糸だからである。
一言で言うならば、「我即神也」を極めることに尽きる。
その障害になっているもの、『人間にとって唯一の敵、それは恐怖心と罪悪感である』(注2)。
つまり、自らの神性を否定する潜在意識が自らの神性顕現をブロックしてしまっている。
同時に、この潜在意識が果因説を理解しにくくしている。
しかし、徐々に焦らず、そのブロックを解いて行きましょう。

注1 「釈迦とその弟子」五井昌久著第一部「阿難」
注2 白光誌1996/5 指針 
2008/8

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啓示録から
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by mppoe-light | 2010-02-01 22:54 | ピタゴラスさん啓示録から