アファメーション

アファメーション
世間で言われる右脳のイメージトレーニングにはアファメーションがあった。
他にも、アファメーションを中心に夢を叶えようとする人たちもいる(注1)。

アファメーションとは肯定的な自己宣言であった。
理想の自己を宣言することによって、夢を実現する方法であった。

アファメーションは一人称を使った祈りである。
白光真宏会の究極のアファメーションは、勿論『我即神也』であり、それを補足す
るのは宣言文である。
自己意識軸と言う考え方からして、アファメーションほど重要なものはない。
四次元世界を開く鍵そのものである。
西園寺昌美会長もいくつかのアファメーションを教えてくださっている。
会長は単にアファメーションを唱えるだけでなく、それが習慣になるまで継続するよう説かれる。

『まず常に自分自身が完全なる者であるという真理を意識して生きることだ。
そして常に完全なる習慣を養うことだ。
自分は本来完全なのだ、完璧なのだ、なに一つ欠けたるものはないのだ、
すべては完璧に整えられているのだ。』(注2)

『どこにいようと、何をしていようと、ふと思い出すたびに、我は完全なり、
完璧なりという真理を実践してゆくことだ。
このことが習慣になり得たならば、
我即神也はおのずと後から光明燦然と顕現されてくるのである。』(注2)


果因説の素晴らしいところは、自己イメージ(自己意識、自己評価、自己定義)の持ち方がすべてであると言う点にある。
至らない自分を何とかしなくていいと言う点にある。
自己イメージがきちんと習慣として確立できたならば、神性顕現は後から自然について来る。

但し、新しい習慣、かつては当然であった太古の習慣を復元するのに、少し古びた習慣の考え方がブロックしている。
このことは甘く見ることは出来ない。しかし、祈り・印・神事が不可能に見えることを可能にするのである。

『自らを神と認めるということは、たとえ、自らが苦しみ、悲しみ、不幸、不調和、不安定の状態であろうとも、それとは一切関係なく、現われている表面的な現象を超え、内なる魂において自らを神と認める、その高い意識、高い次元レベルを指すのである。』(注3)

『煩悩を断ぜずして涅槃に入る』とは維摩詰が説いた究極の真理である。
その一歩手前の『煩悩を断ぜずして、我即神也を宣言する。
我は完全なり、完璧なり』と思う習慣を養う。
そのことが、『いかに偉大にしてかつ尊いことである』(注2)かが近い将来、明らかにされる。

2008/08/07
注1 参照
http://www.mars.dti.ne.jp/~toko/af/aff1.html
http://www.kotobasagashi.net/afm.php
注2 白光誌2000/4 P・50
注3 白光誌2000/6

ピタゴラスさん啓示録から
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『自らを神と認めるということは、たとえ、自らが苦しみ、悲しみ、不幸、不調和、不安定の状態であろうとも、それとは一切関係なく、現われている表面的な現象を超え、内なる魂において自らを神と認める、その高い意識、高い次元レベルを指すのである。』(注3)
10年くらい前の昌美先生のご法話の言葉・・・
10年前も分かってたつもりだったんだろうけど、それは言葉の上でだけ、
頭で分かっていだだけ。。。(;一 一)
その頃は会員になって4年くらいで、富士にもいったことなかった頃です。
(て、今でも富士には6回しかいってないけど。ピラミッドも入ったことないです。)

今、この言葉を読むと 心に浸み込みます。 
10年前の法話、もう果因説へ向かってたんだ・・・。
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by mppoe-light | 2010-01-31 15:36 | ピタゴラスさん啓示録から