転載☆果因説



徹底した果因説

 いくら祈っても、どれだけ印を組んでも、ほとんど進歩していないに自分に
愕然とすることはないだろうか。
頭だけで理解したつもりで、何もわかっていない自分に不甲斐なさを感じることはないだろうか。
このように反省し、謙虚になっている自分に満足している自分はいないだろうか。

 このような一般人的な想念は、特別に人を傷つけるわけでもない。
しかし、こう言った時こそ果因説の出番ではないだろうか。
かつては、人間凡夫説の出番があった。五井先生は、「自分は悪いことをしていない」とうそぶくことや、
表面を取り繕う偽善を排除されたのである。自他を責め裁くことを排除されたのである。
そして、五井先生はこの実践のために徹底した「消えてゆく姿で世界平和の祈り」を説かれた。
更に、五井先生は、瞬時に深く反省する事を説かれたのである。

 ところが、冒頭にある例のように、人間は「瞬時の反省」より「引きずる反省」に流されやすいのである。
それによって、「不甲斐ない!歯がゆい!恥ずかしい!情けない!」という無力感から逃れられないのである。
 今後、「消えてゆく姿」の洗礼を受けた人が、このような無力感を越えるのに何が必要なのか。
徹底した果因説である。積極的に自分を愛することである。
一度、補助線として認めた人間凡夫説を返上し、我即神也を極めることである。
我即神也を極めるには、人間凡夫説を返上することである。
それは『因果律を手放す』(注1)ことでもある。

 現象世界で自分がどのように見えようが、自分が自分に言い聞かせることは次のような神の言葉(神語)だけである。

『私は神のように愛深い。神のように慈しみをもっている。神のようにすべてを赦すことが出来る。神のようにすべて自分の欲することを創造してゆくことが出来る。そして神のように神聖で、神のように純粋で、神のように欲がなく、神のように崇高である。そして神のように高貴で光り輝き、神のように偉大である。』

 この言葉は守護の神霊が、一瞬のすきもなく、我々に何万年もの間かたり続けて来てくれた言葉でもある。この言葉を唱える時、あなたは守護の神霊と全く一つである。
このような真理の言葉だけが『自分を磨き高め上げる』のである。
この言葉によって、自分の本心と業想念の自分が明瞭に分離されるとき、カルマの法則は効力を持たない。神語に祝福されたあなたにカルマが及ぶことは一切ない。
果因説のスイッチがオンになるとき、因果説のスチッチはオフになるからである。

注1 白光誌2010-1
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ピタゴラスさんの日記から転載☆勝手に・・・・・

人間は「瞬時の反省」より「引きずる反省」に流されやすいのである。それによって、「不甲斐ない!歯がゆい!恥ずかしい!情けない!」という無力感から逃れられない・・・

これは本当にそうですよねー、
本心と業想念が曖昧な状態では、 だらだらと「引きずる反省」にはまり込むのです。
無意識のうちに。
以前、嫌なことがあっても、すぐ気持ちを切り替え明るくなる人をみると、
「気楽で単純な人だな~」と思ってたのですから、どんだけ私は業想念の沼にはまりこんでいたのやら・・・です(^_^;)

業想念の中に居たまま消えてゆく姿を実践しても、それはただ自分の想念の沼の中をぐるぐる泳いでるだけでして。 (;一_一)たら~。。。
消えてゆく姿で世界平和の祈り・・・は、消えてゆく姿=すべては錯覚、幻想だから、それをあっさりと捨てて→世界平和の祈り=神様のみ心。神様と一つになる。
そうすれば自分の内の神さまを通して本物の自分、本物の世界が顕れる。・・・・・のですが、
その神さま(神様のみ心。神様と一つになること)が自分の中で しっかり掴めないまま 消えてゆく姿を実践していても、意識は低くぼんやりとしたままで、効果は低かったです。(私の場合の話です)

その同じ自分の中に、絶対の究極の光明があるのを認めて(本心。我即神也)そっちを強く意識していかないと、本当の消えてゆく姿が成立していかない。本心と業想念が分離していかない。。。。

このような真理の言葉だけが『自分を磨き高め上げる』のである。この言葉によって、自分の本心と業想念の自分が明瞭に分離されるとき、カルマの法則は効力を持たない。神語に祝福されたあなたにカルマが及ぶことは一切ない。果因説のスイッチがオンになるとき、因果説のスチッチはオフになるからである。
だから、我即神也 が必要。
祈りをする場合は、神さまの心と自分の心が同じになる、神さまと自分が同一化している、
と思うことが大事。
(だから祈るのを統一というんだ・・・と最近になって理解できました(^_^;)

果因説のスイッチがオンになるとき、因果説のスチッチはオフになる・・・  
嬉しい~♪

(啓示録にも同じ内容がありましたが・・・)
1月昌美先生の法話から

カルマの悪循環から脱け出すためには、徹底的に果因説をつかんで生きていくしかない。

「我即神也」を自分のものとしてつかんだ時、あなたの人生は、大転換を遂げてゆくのである。

これからの人類は、自らの内にある大光明のみに意識を集中しつづけて生きるべきである。
そして、かつて自分の内に存在しつづけていた、自らを裁き、自らに制裁を加え、自らに罰則を与える批評家や裁判官や陪審員などの存在を、自らの力で消し去ることである。
それを消し去るためには、どうしたらよいか。
自らの意識がそれらの存在を、無視しつづけ、認めないことである。
それらにエネルギーを与えないことである。
そしてその代わりに光を与え、変容させつづけてゆくことである。そうすることによって、それらは自らの存在を維持するためのエネルギー不足に陥り、ついには消え去っていってしまうのである。 

すごい!!!

世界人類が平和でありますように 
人類即神也
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by mppoe-light | 2010-01-06 19:49 | ピタゴラスさん啓示録から