思考回路は逆転している

果因説を取り組んで嬉しいことの一つが
スタートもゴールも、果因説を取り組む人はみな同じ とういうこと。

この啓示録の著者ピーさんも、私も、そして印を覚えてこれから
果因説を取り組む人も、すべてみんな同じで差は感じない。(プロセスの違いはあるけど)
なぜかと言えば・・・
果因説で印を組むこととは、 
完璧な自分の「我即神也」からスタートして、それは必ず成就する。
と、いうことだから、
神で始まって神でゴールする。 
神に対立はなし。
業想念の自分は神性の自分とは一切関係なく、全てプロセス。
だから他人との比較もない、他人のプロセスを見てあれこれ余計なことを思い煩うことのない。
(でも、意識が下がるとあっという間に想いが振り回されるけど、、(;一_一)
でもそれも「我即神也」に意識を修正することで、進化のプロセスになる)

きちんと取り組まねば、、です、果因説での神事、印、祈りを。

上徳は徳とせず

自分が自分をどう定義すべきなのか。神とは一体どう定義されるのか。
自分とは一体何者なのか。自分と宇宙、神との関係とは?

西園寺昌美会長の回答は実にシンプルだ。

「我即神也」:私は無条件に神そのものである。
私は神を言葉・想念・行為に顕わすべき存在である。
神の言葉・想念・行為とはあふれでる、無限なる愛、叡智、歓喜、
幸せ、生命、健康、光り、感謝、エネルギー、パワー、成功、供給
そのものである。それのみである。

「人類即神也」:自分が神であるならば、人類も神そのものである。
すべての現象は「人類即神也」を顕すためのプロセスである。
「我即神也」の自分は、人類が自己を神と見なし、人を神と見ることが
できるまで、人類に代わって、「人類即神也」の印を組み続ける。
人類に神の無限なる愛・赦し・慈しみを与え続けるのである。

「我即神也」の自分は、「不完全なる自分はさておき」、神性を顕してゆ
く。それは「成就」する。

この説は観念論ではない。印は、この説が「成就した姿」である。
ここに果因説の印の素晴らしさがある。
因縁因果は「消えてゆく姿」であり、印は「成就した姿」である。
因果説―果因説と言うように、悟りの世界は思考回路が逆転している。

老子曰く、「上徳は徳とせず。是をもって・・・・
(う・・・読めないし、難しいから・・ここはパス・・・(― ―;))」
(老子道徳経章)38章

因果説では、人は徳を積んで、神になろうとする。
印を組み続けて、人は神になろうとする。

果因説では、人は神であるから、印を組む。
人には、神になるために、組まなければならない印はない。
神人は神の印(しるし)として、印を組む。

行為の結果として、神の喜び、褒美、カルマの相殺を期待するのは真の徳ではない。
神人は神の喜びの表現として印を組む。死後の世界の良し悪しの為に組む印は無い。
神人は神だから、徳そのものだから、愛そのものだから印を組む。

(省略)
2008/06/27
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ピタゴラスさん啓示録

悟りの世界は思考回路が逆転している。・・・以下の部分
ここは、好きな部分です。 すぱっと簡潔に書いてありすっきりします。(#^_^#)

印は成就した姿、 いや~、 嬉しいではないですか♪
神だから印を組む。喜びの表現として印を組む。
私は本来神の分御霊。
印を組むことで、神としての自分を体験している♪
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by mppoe-light | 2009-12-25 22:29 | ピタゴラスさん啓示録から