イメージについて

「弟子に心の準備ができたとき、ちょうど師匠がやってくる」

この古代中国の諺は、東洋思想の基本になる考え方をよく表わしています。
それは、人間の心の中で起こることと外界で起こる出来事、つまり内なる世界と外なる世界の微妙な
つながり方を示しています。
C・G・ユングはこの考え方を共時性(シンクロニシティ)とよび、”意味のある一致”と定義しました。
・・・・

と始まる、ユング心理学者さんの、「タオ心理学」という本の冒頭です。

10年以上前の本なので 今更・・・の内容なのですが、

「弟子に心の準備ができたとき、ちょうど師匠がやってくる」この諺はやっぱり良く出来ているなー・・・・と思いました。

今、啓示録 を読んでいます。 、日記に載せたいという目的もあって、繰り返し読んでいます。
これが1~2年前だったら、こんなに夢中にならなかったと思います。
まず、内容が今ほど理解できなかったでしょう~。(笑)

今だから 読むことの出来た啓示です。
ちょうど富士も4次元になり、果因説の共時場もできました。 だから
私の準備ができたとき、ちょうど必要なものに出会えた・・・ という感じ。

きっとこれまでも、そうだったのだと思います。  

↓今日は、イメージについてです。 

”イメージ、祈りと念力”

自己意識(自己イメージ、自己定義)には大別して、「我即神也」と「我即非神也」の二種類がある。
両者に普遍的に働いているのが、「想念の法則」=「プロジェクター作用」である。
自己意識は想念の法則・プロジェクターを通して形ある世界を創りなす原因である。

「我即非神也」の意識は輪廻する世界を創り、「我即神也」の意識は神性顕現を行う。
その現象世界を創造する作用を強化するのが、思念の力、イメージ力である。

「我即非神也」の自己意識の中で、念力、イメージ力を使うと、一時的にうまくゆくこともある。
しかし、最終的にはその「我即非神也」の自己意識を修正せざるを得ない状況に行き着くことになる。

「我即神也」の自己意識の中で、イメージ力を使うことは、果因説の生き方である。
それは神性顕現であり、祈りである。神性顕現も想念の法則を通して成就する。
別の言い方をすると、想念の法則の正体は神の無限なる創造力そのものであり、それを誤用している
のが因縁因果の法則である。
自己意識を「我即神也」に高めようとせず、意図的にこの想念の法則を誤用するのが念力である。
誤用の結末は自己意識の修正だが、それには痛み、苦悩が伴う。
そうならない為に、「我即神也」のエネルギーを高める方法がある。
しかし、それは念力ではない。
自己意識が「我即神也」にあるからであり、「我即神也」は太初からあるもの、宇宙の生地としてある
ものだからである。
「我即神也」のエネルギーを高めて、神の姿を顕現することは、大天命であり、
宇宙神の意図するところである。


”イメージ力”

西園寺由佳会長代行は祈りにもイメージ力が大切と言われた。

『神様と一体になれる心の喜びや至福、愛と光そのものになっている自分をイメージする。
生きとし生けるものすべてを救い上げる光を放射している自分の姿を、強く強く脳裏に焼き付けていく。』(注1)

西園寺昌美会長もイメージ・トレーニングを推奨しておられる。

『今やイメージ・トレーニングの時代である。彼ら(スポーツ選手等)は、
人類すべての中に無限なる能力、無限なる英知が存在しているという真理を知らなくとも、
その力を発揮しているわけであるから、我々のように真理を識っているものがイメージ・トレーニ
ングをすることは、凄いことなのである。

” 我即神也”という真理そのものをイメージするわけであるから、驚異的である。
我々自身が神そのものになったつもりでイメージ・アップする。

神の姿とは個我が全く無く、無限なる愛、無限なる英知、無限なる生命そのものである。
家族に、人々に、人類に与えつづけるのみの無限なる愛、無限なる光に徹するのである。
その神の姿を自分の心の中にイメージする、ただそれだけで、心がやわらぎ、
感情が鎮まり、トラブルが消え失せ、すべてを愛と感謝の心をもって赦せるようになるのである。
これが我々の目的である。

神である自分は常に光り輝き、愛に満ちあふれ、生命生き生きとしているものだとイメージしてゆく。
そのうちにそれが習慣となり、潜在意識に蓄積されてゆく。
それを繰り返してゆくうちに自然に、” 我即神也”の境地そのものに達してゆく。
真の真理への目覚めに到達できるのである。』(注2)
(省略)
2008/05/02

注1 西園寺由佳会長代行白光誌2008/5 知識とイメージ力
注2 白光誌1994/4 文章の一部を省略いています。


”メイクアップからイメージアップへ”

西園寺由佳会長代行のあるエッセイを思い出してみよう。

『想像力豊かな女の子の発言にハットさせられた。
景色さえも、自分の意識次第で美しく輝かせることもできれば、
無味乾燥な存在にさせてしまう。』(注1)

意識と言う次元を想定し、そのレベルを変えると、このように同じものが全く違って見えてしまう。
我々にとって、最も根本のことは『自分が自分のことをどのように見ているか』である。
そこで、
会長代行の言葉を自己意識に当てはめると、次のようになる。

『自分自身さえも、自分の意識次第で神として美しく輝かせること
もできれば、凡夫のような存在にさせてしまう。』

この『自分が自分のことをどう見ているか』が自分の運命を決めているのだから、
人間にとっては一大事のことである。

我々は無意識のうちに自分に価値判断を加え、凡夫の自分を引きずっている。
その凡夫の自分と言う価値判断を退け、本心の自分を言葉の力で呼び出すのが祈りである。
現象の世界には無くとも、神の意識の世界に既に成就している姿を呼び出すのが祈りである。
想像力を使ったイメージ力は祈りの力を増幅するブースター(増幅装置)である。

世界平和、神の姿は現象世界では見つけがたいが、それは既に成就している。
世界人類即平和也、我即神也、人類即神也の姿として成就している世界がある。
祈りはその真の姿を呼び出す行為であり、思い出すプロセスである。

では、どのようにすれば、この原理を効果的に使えるのか。
無意識の自分に対する価値判断をやめること。本心、神としての自分自身を崇めること。
神なる自分と対座し対話し一つになること。つまりは、我即神也を極めることである。

そのための、西園寺昌美会長の推奨宣言文は次の如くである。

『私はすべてを知っている。私は真理そのものだ。私は絶対だ。
私は完全だ。私は神そのものである。私は大調和そのものだ。
私は自由そのものだ。私はすべてを創造する。私は出来る。私は在る。
私は永遠。私は全知全能だ。』(注2)

自分が神を顕現する前に、我即神也のイメージをしっかり持つ必要がある。
三次元世界で毎日メイクアップ(化粧)するのと同様、
我々は四次元軸(自己意識軸)を使って自分を毎日イメージアップする必要がある。

イメージの世界、自己意識軸上で『自分を磨き高め上げる』のである。
三次元に限定された現象界で『自分を磨き高め上げる』より、イメージの世界で『自分を磨き高め上げる』方が、易行道であり、効果的なのである。
2008/05/06
注1 白光誌2008/5 想像力について
注2 白光誌1996/4

ピタゴラスさん啓示録
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by mppoe-light | 2009-12-06 22:52 | ピタゴラスさん啓示録から