浄めから顕現へ

ピタゴラスさん啓示録から

この部分は読むたびに新しい。
読むたびに、 「あ、そうだったよー」と、脱線していた思考回路を修正します。

果因説は大きな大きな救い。でも習慣化してしまった思考回路を
急に修正するのは、正直言って難しい、 が、

朝の神事があります。呼吸法の印もあります。来年からはピラミッドも。
 
何から何まで至れり尽くせり。 すべてが用意されてあります。
だから
神さま・五井先生の計画はすごい! と思う。


「歴史の浄め」から「神性の黎明(顕現)」へ

自分が体験することは自己意識= 自己イメージ= 自己定義の結果である。
現実世界に変化をもたらすものは自己意識の変換しかない。
自分に対する定義、見方考え方を変えることが自分の人生を変える唯一の方法である。
「我即神也」という本来の自己意識に戻ることである。

神のように語り、念じ、行為する。そのように決意する。
そのようにイメージする。これが2 0 0 8 年の神事の主旨である。

自己意識が自分の住む世界を創造し、自分は意識した通りのことを体験する。
これは宗教のみならず、先端科学( 量子力学) にも共通する法則である(注1)。
この観測効果の結論は「自己意識を高め上げる」に尽きる。
ここに果因説が加われば、宗教の奥義が完結する。

それは「我即神也の意識は本源の意識であり、永劫不変の意識である。
他の意識は空性なる意識である。我々はその我即神也に意識をフォーカスすればよく、他の意識は< 放っておいてよい> と言うものである。(「放っておく」ことができないところに、消えてゆく姿のスキルが有効になる。)

本章では、観測効果+ 果因説の真理を再整理し、習慣的な思考回路に修正を試みる。
真理は次のように語りかける。

①問題を指摘し、分析し、解決を図ることをやめなさい。

完全に調和した、平和な世界を呼び出しなさい。
(2008 年2 月3 日昌美先生の吹雪の中の法話参照)

②石(不調和、欠点、悪)をパン(調和、善、神性)に改めることはやめなさい。

パン(調和)は無限なる供給によって自分の内より顕しなさい。
(聖書参照)

③煩悩を断じようとすることをやめなさい。業生を浄めようとすることをやめなさい。

光り輝く本心、我即神也を静かに見つめ、それを顕現すること
に専念しなさい。

④欲しいものを求めることはやめなさい。

現実の姿はさておき、豊かで、欠けたるものなき自分の姿を想像しなさい。

⑤他の人や他国の業生を浄めることをやめなさい。

他の人や他国の神性を認めなさい。

⑥苦悩や悲惨さを浄めることはやめなさい。

人類一人一人が真理に目覚めるよう祈りなさい。祈りと印によって、人類が自らの神性に目覚めるよう促しなさい。(注2)

⑦一歩下がって、二歩上る。向上を続ければ自分は神に近づくと言う発想をやめなさい。

あなたは即神そのものなのだ。この意味を考えてみなさい。
あなたは神以外にはなれない存在だ。あなたは光り輝いた神性そのものだ。
その本心に心を向けなさい。その本心を呼び続けなさい。

⑧過去の歴史を浄めることはやめなさい。

輝かしい未来の一転のみを見つめ、それを現実に引きつけなさい。(注3


以上は次の昌美先生の言葉に要約される。

『まず初めに、それ(我即神也)はあなたの中に既に現実のものとして存在しているのだと、想像しなければなりません。現在の不完全なる自分自身はさておき、想像の中で、自分が光り輝く神そのも
のになっていると想うのです。』(注4)


問題を認める意識は問題をなくせないのである。
問題を解決しようとして、分析し、問題と戦おうとすることが、問題に直面する自分を創り出してしまう。
何かを欲する意識は、何かが不足している状況を創り出してしまう。
業生(カルマ)と対抗する意識は業生と向き合う自分の体験を創り出そうとする。

業生を相殺しようとする意識も根源の意識ではない。
徐々に業が少なくなると言う意識も根源の意識ではない(注5)。
太初から業生のない「我即神也」の意識に心を集中させる、これが真の解決方法なのである。

自分でも人でも、自国でも他国でも、欠点を指摘し直そうとしないことである。
そんなものを凝視すればするほど、不完全な自分、不調和な国家を創り出してしまうのである。

自他の神性を拝し、各国の本源の平和な姿を祝福するのである。
お金、人間関係、肉体の不調、、、つまり肉体我の苦悩は意識すればするほど、沸き起こるかのようである。際限が無いかのようである。
そこで、祈りによって、一定時間、肉体我のことを意識から外してしまうことが必要である。
「不完全な自分はさておき、個人のことはさておき」祈りの中に入ってしまうのである。

一定の形式に従って祈る、あるいは印を組むのもよし。自由に我即神也の空想に浸るのもよし。
妙好人が唱名に明け暮れ、現世はさておき、極楽浄土の生活を夢見た如く、我即神也の夢・世界平和の夢を追いかけるのである。

『前生の因縁と神人の顕現とは、一切関係ない』(注6 )ので、現在の自分とは関係なく、自分=神の想像、イメージトレーニングに励むのである。

我即神也を顕現する第一歩は、「我即神也の意識が自分の本心として、永遠の生命として存在している」ということを信じることである。
第二歩は、「我即神也」の姿を自分の想像力でイメージすることである。
実在する「我即神也」と現象の自分をつなぐ糸口は「我即神也」をイメージすることである。


最後は、「神との対話」で神と著者のニール・ドナルド・ウォルシュの間で交わされたジョークで締めくくりましょう。(注7)

少女はクレヨンで絵を描いていました。神様の絵を描いていました。ママは言いました。
「神様がどんな方なのか、誰も知らないのよ」。
少女は楽しげに答えました。
「私が描いてしまうまで待っててね、、、」。

ウォルシュは原稿を書いていました。神様との対話を書き記していました。誰かが言いました。
「神様が何を言うか誰も知らないんだよ」。
ウォルシュは微笑んで言った。
「わたしがこの本を書き上げるまで待っててくれないか」。

白光の会員さんは何かをイメージしていました。我即神也をイメージしていました。
誰かが言いました。
「神様の姿なんて誰も知らないんだよ」。
会員さんは嬉しそうに言いました。
「わたしは我即神也をイメージして、神事をしている。神を顕現するまで、もうしばらく待ってて下さい」。


2008/04/11
注1 参照2008 年4 月6 日昌美先生の法話
注2 参照白光誌2007/ 8
注3 参照白光誌2006/ 12
注4 引用白光誌1995/ 8
注5 三界(現象)の世界と天国というものは全然、別なのです。違うのです。一日増しによくなるというのではなく、初めからいいのです。これが法華経、神道の極意です。
五井昌久著「明るい心」p 18 6参照

注6 白光誌1 99 7/ 1 0
注7 「神との対話」ニール・ドナルド・ウォルシュ著サンマーク出版Ⅰ巻8章
⑦一歩下がって、二歩上る。向上を続ければ自分は神に近づくと言う発想をやめなさい。
この言葉はすごいなーと思いました。 ここまで言ってくれる人ってなかなかいない。
軌道を外れないよう、釘を刺された感じ(笑)
やっぱり、ぬるま湯状態では人間って目覚めないんだよねー、なかなか。
だから人生にはあちこちに生きる難所が設けてあるんだけど。
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by mppoe-light | 2009-12-03 19:37 | ピタゴラスさん啓示録から