「自分を愛し、人を愛す」

ピタゴラスさんの啓示録から

『自分を愛し人を愛す』

私は再び、例の菩薩に指導を受けることになった。

「人の持つプロジェクターには様々な意識が送り込まれている。
これは、『自分は肉体である』という自己意識から派生したものだ」と菩薩は言いながら、ある人の意識を言葉にして見せてくれた。

『我々は肉体に限定された存在だ。死は最も恐怖すべきものだ。
神などいない。いたとしても我々に罰を与える神だ。
私の怒りと恐れは私の本能であり、最も正当な感情だ、世の基準となるべきものだ。
人生に起こることの原因は常に外部にある。自分はいつも、その外部の存在の被害者である。
自分は愛される資格がなく、苦しんでも仕方がない存在だ。
自分の罪深さを償うには、自分が苦しみ続けることだ。

外部の物質を得ることだけが私に幸福をもたらしてくれる。嫌な人が変わるか、いなくなれば私は幸せになれる。ゼロサム社会だから、誰かが不幸になれば、私は幸福になれる。
人が幸福になれば、自分は損をする。人はすべて別々で利害は常に対立する。』(注1 )

「この他にも、こういう意識もある」と言って、菩薩は別人と思われる人の意識を見せてくれた。


『宗教の教えは大切だ。人に優しくすべきなんだ。私は本来、悪い人間だ。人に優しくしてみよう。
それが完璧にできたならば、私は人からも愛される人間になれる。
そうしたら、私は自分を心底から愛することができる。悪い人間も帳消しにすることができる。』


「いろんな人がいますね。世の中には唯物的な人が多すぎます。宗教カルマもあるし」と私は言った。

「全部、これは君の意識から読み取ったものだ」と菩薩。

一瞬、間が空いた。
二人同時に一言ずつ。

「まさか他人事のように言うとは思わなかったよ」と菩薩。

「まさか自分の事とは思わなかった」と私。

「妙に息が合ってましたね」と私はボケたことを言ってしまった。

「お互い、逆のことを言いながらね」と菩薩はすかさず突っ込みを入れてきた。

それから菩薩の説法が始まった。

肉体人間観、凡夫観を持っているからと言って、誰も君を責めることはない。
そういった意識はいつかは消えてなくなるものだ。
素晴らしい教えを説く聖なる人を尊敬する人々の集まりですら、非友好的な人間関係になりがちだ。
否、必然的にそういう結果になる定めになっている。

聖なる人を高く尊敬する人は、往々にして自分を低く汚れを持った人間と観る傾向にある。
気が優しくて、まじめで、人を大事にしようとする善意ある人でも、自己意識が低い場合が多いのだ。

その低い自己意識は、人から大事にされない状況・体験を呼び寄せるのだ。
そのような人は傷つきやすく、感情がすぐ乱れてしまいやすい。
そうすると、益々自己評価が低くなる。
そのような自分より、先ず人を愛するように、と言う教えは、決定的に救われない人間を創りだす。
宗教組織にとっては、それがまた好都合なのだ。宗教組織の継続が約束されるからだ。
花粉症の人は根本的に治癒しなくとも、少しの気休めがあれば耳鼻科に通うことになる。
結果的には耳鼻科医が繁盛し続けることになる。それと状況は全く同じだ。

自分を神と拝み、人を神と拝む(注2 )。私はそれを訓練してきた。あなたもそうしなさい。
自分を神と拝まないで、偉い人を拝むことがいかに危険なことか、今言った通りだ。
だから、私は君の前に三度目に現われることはない。

「五井先生!と崇拝することはどうなんでしょう?」と私は尋ねた。

五井先生はきちんと明言されている、『五井先生は、皆さんの本体なんです。
皆さんの本体も、私の本体もみんな一つなんです。宇宙は一つだから』(注3 )と。
凡夫はいつも、そういうメッセージを聞き逃すだけだ。だからと言って、誰も責められることはない。
人類即神也のプロセスがあるだけだ。人類はプロセスの中で目覚めつつある。

五井先生と自分とは自己意識軸で繋がっている。
五井先生が一度に大勢の人、一人一人を指導できるのは、各人の自己意識軸を使っているからだ。

自己意識の深いところに五井先生はおられると言うことだ。
真理は『自分を愛するものは、人を愛することができる。人を愛するものは、人からも愛される』だ。

最初にすべきことは、自分が自分自身を無条件に愛することだ。『我即神也』を極めることだ。
『最も愛情深い人間とは、最も自己中心的人間だ(注4 )。』
これが「人間と真実の生き方」にある『自分を愛し、人を愛す』の意味だ。

『我即神也』『人類即神也』のメッセージは『自分は神性そのものだ。
すべての人も、私と同様、神性そのものだ』と言うことである。
『我即神也』が初めになくして、『人類即神也』は成立しない。
しかし、『人類即神也』なくして、『我即神也』は完成しない。

自分を神と拝み、人を神と拝んだ時に湧き出る光明波動は人類を慈しんでならない。
『人類に目覚めを促す光明波動を発する神なる自分』と言う自己イメージ
を持ち続けなさい。これは九合目の教えだ。

白光誌の表紙の裏にある『世界平和の祈りをするところに必ず救世の大光明が輝く』の一つの意味を教えよう。
この説明は、白光の教えの初めの教えであった。言わば、1合目の教えであった。
五井先生は『救世の大光明を放つ自分』というイメージを作る訓練を、我々にさせて下さったのであった。
ところが、まさしくこれが九合目の教えであったのだ。五井先生の深謀遠慮には全く恐れ入る。

注1 「LoveistheAnswerやすらぎ療法」ジェラルド・G・ジャンポルスキー、ダイアン・V・シリンシォーネ春秋社参照

注2 「自分を拝み、人を拝むのが一番いいのです。それが信仰の極意であり。根本です。」(白光誌1967

注3 五井昌久著「光明の生活者」P.38
注4 「神との対話」 ニール・ドナルド・ウォルシュサンマーク出版引用


啓示録は、科学的に宗教的に、丁寧に緻密に著述されてあります。
理論的にも納得ゆくように物理学が用いられ、今私達が行なっている 消えてゆく姿、本心と業想念、
祈り、印 果因説の意義 などが解説されています。

今までは ぼんやり理解していただけの さまざまな神事の意義が、すっきりと納得できる内容でした。
(むずかしい部分は横に置いて・・・(笑)

これからは、ピタゴラスさんの啓示録のような法話(or講話)が 白光にあってもいいと感じました。 
必要としている人がいると思います。

ピタゴラスさんに啓示録の使用をOKして頂いてから、

掲載するのにややこしい・・・と思った部分は、ザックリ省いたり
部分的にだけ抜粋したり と、ホントに私の好きなように掲載させてもらっております。
(量子力学やエコー効果、ピグマリオン効果・・・ などの部分は
思いっきりバッサリ切っております。(^^;)
こんなに自由に使わせて頂いて、無限なる感謝です。

 ・・って、こんな風に書くと 啓示録も今日で終わり?みたいな
雰囲気になりますが・・・、 まだ終わりません。(笑)
無限なる愛に 感謝しつつ、
今後も、自由にコツコツと続けていこうと思います。
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by mppoe-light | 2009-11-26 23:04 | ピタゴラスさん啓示録から